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レーザーの歴史

画期的な色彩的老化(シミ、くすみ)の治療法IPL(フォトフェイシャル)の登場

1999

1999年シモン=エックハウスが提唱した光治器= IPL intenced pulsed light フォトフェイシャル が米国ルミナス社から発売されました。
レーザーのような単一波長ではなく、カメラのフラッシュに似た、ある程度の光のバンドを持った治療器です。
照射直後からメイクができるというコンセプトの元、かさぶたを作らない ノンアブレイティブ治療 というあらたな概念を作り、日本でも一世を風靡しました。
いわゆる「フォト治療」や、「フラッシュランプ治療」といわれるものは、このIPLを指します。
フォトフェイシャルというのは、戦闘機の塗装をはがすために発明された軍事機密の一つだと聞いたことがあります。
戦闘機やジェット機は機体が大きいため、塗料の重さもずいぶんと多くなってしまうようなのです。
当初この治療機が紹介された時は、医師の間では全く効果がないといわれていましたが、効果は医師ではなく世の中が判定します。
エックハウスはこの発明によりビリオネアになりました。

2002

2002年には、オーロラ(現e-light SR)という、IPLの技術と双極RF(後述)技術を合わせたイスラエルのシネロン社elosシステムが開発されました。

シネロン社のオーロラ(Aurora)は、シモン=エックハウスが技術者としてスピンアウトし、カリフォルニア州の開業医であるパトリックビターJr.医師が開発にか関わりました。
私自身も日本におけるもっとも初期の オーロラユーザー の一人ですが、シミだけが浮き上がり、ぼろぼろととれてしまう仕組みに感動し、患者さんの満足度をより高める施術が開発されたと、感心しました。
日本では300台以上が売れ、レーザー/光治療史上に残るヒット商品となりました。

2004

光治療機はシミを消すために様々な機器が開発されてきましたが、2004年にシネロン社から発表された オーロラプロ(スーパーオーロラ、オーロラSRA、オーロラアドバンスともいわれます)は、それまでのオーロラの波長を100nm紫外線域に振り、パルス幅を半分にすることで、シミへの効果をあげたものでした。
今までのオーロラを“やすり”と表現すれば、オーロラプロは“ナイフ”のようにシミを切り取る効果がありました。
今までのオーロラでは取れなかったシミが浮かびパラパラと落ちていく様は、まさに驚きでした。

ちょうど同じころ、カルフォルニアのCUTERA社では アキュチップ(AcuTip 500)という直径6.35mmのチップを使用した、フラッシュランプのシミ治療器を開発しました。小さい径ですが、非常に切れ味よく、使いやすい治療機となりました。

2006

2006年には同じCUTERA社よりライムライト(LimeLight)という光治療機が登場しました。
この治療機は、520-1100nmという、赤いヘモグロビンにも、茶色いメラニンにも反応する波長を使用し、より改良した IPL です。
開発にアジア人が関わっていることもあり、日本人の黄身がかった肌により合うIPL機として注目されました。

オーロラ(現e-light SR)、オーロラプロ(現e-light SRA)、ライムライト、アキュチップは、それぞれ効果も得意とする分野も違い、クライアントのシミの特性を見ながら、それに合った施術・機器を選択する時代へとゆるやかに入っていきます。

スキンリジュビネーション(肌質の若返り)のためのレーザー

2002

もともとレーザー光線には、肌の下のメラニンやコラーゲン、ヘモグロビン、水に作用する効果があります。
IPLが開発されて、施術後すぐにメイクをして帰れるという non-ablative skin resurfacing の治療が始まって以来、レーザーを低いパワーで顔全体に照射することで、スキンリジュビネーション(肌質の若返り)を行なう治療が始まりました。
この治療は、レーザーフェイシャル と呼ばれました。
レーザーフェイシャル は通常のシミをとるレーザーに比べて低出力ですが、顔全体に数百ショットの照射を施すことで、痛みなく肌の茶色いシミや赤みが減少し、さらにテクスチャーでも「肌の張り」が出るため、非常に人気のある施術になります。
CUTERA社の ジェネシ スや、CYNOSURE社のEliteなどを使用したロングパルスのレーザーフェイシャルに人気が集まりました。2002年、JMEC社が日本にディストリビュートした MAX engineerig(現Lutronic)社の QスイッチNd.YAGレーザー =SPECTRA VRMを使用し、マックスピールと呼ばれる黒いカーボンローションを使用したレーザーピーリングを紹介しました。
この手法はGoldberg が Dermatol Surg という雑誌に2001年に発表した方法を参考に開発されました。
当初は世界的なスタンダードだった QスイッチNd.YAGレーザー はHOYA社の MEDLITE という製品でしたが、もともとQスイッチNd.YAGレーザーはアメリカで刺青をとるために開発されたものでしたので、それに適したように、安定した出力と5mmノスポット径、さらにビームプロファイルが山のような形をしたガルシアンと呼ばれるモードになっていました。

レーザーピール という観点において SPECTRA VRM には、MEDLITE を上回る性能が当時ふたつありました。
ひとつは照射径が大きいこと。もうひとつは、レーザーのビームプロファイルが ”トップハット” と言われる出力が均等なものであることでした。
レーザーのスポット(照射半径)に必要なエネルギーは、その半径の二乗に比例します。
すなわち、7mmの径と5mmの径で同じパワーの出力を求めたい場合、半径を二乗しますと一方では7x7=49 5x5で25 = 5mm径を 7mm径にするためには機械的にはほぼ倍(25を49に)の出力を持つ製品でなければならなかったのです。
SPECTRA VRM は当時の QスイッチNd.YAGレーザー としては珍しく、7mmの径の照射が可能でした。同時にレーザーのビームプロファイルも、先端のパワーが均一のトップハットのものでした。
このレーザーは当時としては 「なすすべがない」 と言われていた毛穴の治療に効果があったため マックスピール の名前で広まり、私も何編か論文を書かせていただきました。

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