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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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●2013年9月 ドイツ・イタリア出張①フランクフルト行きの飛行機を待っています

おはようございます。

今日は8月31日土曜日。

これから今年4度目の欧州出張を控え、成田空港で飛行機の出発を待っています。

昨日はまさかのPCダウンに翻弄されてしまいました。約10日間の海外出張中にハードディスクの修復具合が分かると思います。

今回はビジネスミーティングを各都市で行ないながら、夜はオペラやスポーツ観戦を楽しもうと思っています。

フランクフルトからドイツに入り、マインツ、イタリアに移動して、ミラノ、マントヴァ、ヴェローナに滞在する予定です。

帰国は10日。

明けた翌日11日からクリニックFの外来を再開する予定ですが、僕の不在中もスタッフは出勤していますので、ご質問やご予約などがありましたらクリニックFにお電話くださいね。

それでは行ってきます。


OMG 信じられない。メインコンピューターが・・・ダウンです!

明日に出張を控えて、忙しく過ごしています。

そんな中、クリニックFの院長室に置いてある2年前に買い換えたばかりのメインコンピューターが突然壊れました。。。

OMG! です。

原因はハードディスク故障によるもの。

レイドを入れてハードディスクの故障には対応していたにも関わらず、この惨事です。

PCには学会資料や、研究用の資料、ブログの写真なども保存していますので、頭を抱えてしまいましたよ。

とりあえずハードディスクを抜いてUSB接続したりと、自分で手を尽くしたものの復帰が出来ず、困り果ててSEの友人の手を煩わせることに。

しかしながら、それでも復旧出来ず、ハードディスク復旧屋さんにお願いすることになりました。

相当高額と聞いています。

あたたたた・・・・・というかんじですが、仕方ありません。

何かの厄落としだと思ってこれを機に整理できるものは整理し、またこうした事態に備えてちょっとやり方を変えてみることにしましょう。

こちら、唯一残っていたザルツブルグ後の、ドイツはミュンヘン、帰国前にとったルートヴィッヒ2世の生まれたニンフェンブルク城の写真です。

 


◆2013年8月ヨーロッパ出張⑮ ザルツブルグへ

シュタルンベルク湖畔のベルク城からは、一路、高速でオーストリアは音楽の都ザルツブルグへ。

この時期のドイツは、車のルーフに船、リアに自転車やオートバイを乗せた車が多く走っています。

夏のバカンスを楽しんでいますね。

2時間ぐらい走ったでしょうか?

ミュンヘンからザルツブルグへ行く途中、キムゼー湖の横を通過しました。

こちらの湖に浮かぶ島に、ルートヴィッヒ2世が作り上げた3つの城のうちの一つ、ヘレンキムゼー城があるのです。

ところが高速道路を下りたのちが大渋滞。

やむなくこの城への訪問は諦めました。

そのまま高速道路に乗り、オーストリアへ。

ザルツブルグに入るトンネルの前にやってきました。

トンネルを超えるとザルツブルグの街へ。

すぐ左手にはサウンドオブミュージックでも出てきた馬洗い広場ですね。

近くのパーキングに車を停めて、街を歩きます。

町の中心を南から北に流れる清流ザルツァッハ川。

モーツァルト広場を過ぎて、大聖堂へ。

こちらも荘厳で美しいですね。

ザルツブルグのブログはまだまだ続きます。

 


◆2013年8月ヨーロッパ出張⑭ ベルク城 シュタルンベルク湖 ルートヴィッヒ2世の死の真相 

早朝にオーストリア・ブレゲンツを出発。

この日はドイツ・ミュンヘンを経て、再びオーストリアへ。ザルツブルグに向かいます。

アウトバーンも時速200㎞オーバーで順調に飛ばします。

まずはルートヴィッヒ二世の遺体が見つかったシュタルンベルク湖の湖畔に向かいました。

ルートヴィヒ二世は1886年6月11日に、ノイシュヴァンシュタイン城で精神疾患をきたしているとして捕らえられ、翌朝そのままシュタルンベルク湖畔のベルク城に幽閉されてしまいます。

二日後の6月13日夕方ルートヴィヒは精神科医グッデンと散歩に出かけますが、そのまま二人とも戻らず溺死体として発見されるのです。

彼が本当に精神疾患を患っていたかどうかについては医師の間でも議論が分かれるところですが、僕はこの旅で実際彼の作り上げた城を見学し、その執着気質からくるあまりに精緻すぎる内装を見て、もし彼がここまでのこだわりをもった妥協を許せない性格であったならば、この時代・この国の国王としてはさぞ生きづらかったことであろうとふと思いました。

プロイセンやオーストリアなどの列強が争い合う時代に、バイエルンの立憲君主国家の国王として国家の存続がかかるのは、相当なプレッシャーだったことでしょう。

ワーグナーという年上の友を得て、彼に傾倒し、芸術に没頭するのもわかる気がしました。

もちろんそんな彼であったからこそ、こうして何世紀を経てもなお色褪せることのない大きな財産を残すことができたということも言えますよね。

ノイシュバンシュタイン城で、

「私は大学で学び始め学問の面白さを知った途端、父の死により学問から引き離された。私には経験が不足していた。」

という趣旨の大学の教授に宛てた手紙の文章を読んだのですが、物悲しさを感じましたね。

そして、運命の螺旋が織りなす歴史の興味深さも同時に噛みしめました。

車で通り過ぎてしまうような細い道に、この看板を見つけました。

深い森を歩くこと15分ぐらい。

湖面が現れました。

こちらが彼を弔う十字架です。

夏の暑い時期でさえ、ちょっと寒気がするような場所でしたよ。

正面には彼を弔う礼拝堂があります。

この場所を訪れることができてよかったと思いました。

 


◆2013年8月ヨーロッパ出張⑬ ブレゲンツ音楽祭 モーツァルト「魔笛」

おはようございます。

今日8月30日(金)は、クリニックFの開院日です。

休診日の昨日はいつも通り工学部の研究室に顔を出して、RF(ラジオ波)の生体に関する研究をしてゆくための打ち合せ、その後は教授や学生さんたちと暑気払いで飲んできました。

こうした世代を超えた人たちと飲むことは、持てるようでなかなか持てない機会ですね。いろいろと刺激を頂きましたよ。

明日土曜日からは再び欧州出張に行ってきます。今回は前回の出張から帰国後日本の滞在が10日余りしかありませんでしたので、欧州と日本どちらの時差に合わせるべきか迷いましたが、ちょうど仕事も溜まっていて物理的に夜もたいして寝られませんでしたので、漸く欧州に時間を合わせることにしました。

現地でまた訪れる国が増えるかもしれませんが、現在ではドイツとイタリアに滞在する予定です。

9月10日に帰国しますので、クリニックFの外来は11日からとなります。

さて、僕のブログは先週滞在したオーストリアはブレゲンツの音楽祭についてです。

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スイスからブレゲンツに移動すると、ブレゲンツは音楽祭一色です。

こちらの街は、見ての通り湖畔の美しい街。

教会もあります。

今回この地にやってきたのは、湖上音楽祭を楽しむためでした。

湖の上に建てられた舞台。

2年に1度立て替えが行われ、次の演題に向けてセットもがらりと変わります。

2013年~14年はモーツァルトのオペラ「魔笛」が演題に選ばれています。

魔笛はドイツ圏に住む文化人達が、子弟のオペラデビューに最も最適だと考えている題目なのだそうです。

ちょうど新しく発売されたばかりのメルセデスEクラスのAMGが会場に展示されていました。

湖畔を眺めながら席に着きます。

今年の舞台はこちらです。

魔笛はモーツァルト最後の作品のひとつ。

フリーメイソンの秘密にこだわった作りがなされているので3の数字が頻出します。

こちらの舞台に建っている3人の怪獣。

そしてその下には舞台となる亀の甲羅。

今回は舞台設営に9億円かかったのだそうです。

ゆっくりと沈んでゆく夕日。

いよいよ日が落ちると、序曲が始まります。

夜の女王の娘であるタミーナが、当初は悪役の扱いであるザラストロにさらわれるところが描写されます。

実際に声楽は、船に乗った主人公の王子タミーノが大きな蛇に襲われるシーンからスタートしますが、これも舞台装置がよく考えられていて楽しめました。

通常魔笛は途中で休憩が入るのですが、この人数ですので休憩はなし。

日が沈んだ後は舞台となった湖を上手く利用して話が進んでいくのですが、最後は皆スタンディングオべーションで応えましたよ。

これ以上豪華に出来ないのではないかと思われる舞台装置のもと、夜の女王のアリアやザラストロのアリアを聴き、非常に感動しました。

ちょっと残念だったのは、舞台全般のマイクの使用。

まあこれだけ大きな舞台ですとそれも止むを得ないことと思う一方で、役者の生の声を聞きたいと思ってしまうのがオペラファンなのですよね(笑)。

日没の20時近くから舞台が始まりますが、夜も更けて12時近くです。

今年最も楽しみにしていたイヴェントの一つ。

すばらしい体験でした。


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