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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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■2013年3月 マイアミ AAD全米皮膚科学会出張⑮ 日本における滞在型メディカルスパの可能性 マイアミでの日の出

おはようございます。

今日3月30日はクリニックFの診療日です。

昨日は診療後銀座に行きました。滞在型医療施設をつくるための打ち合わせがあって、声をかけていただいたのです。

純日本風で離れもある既存の宿泊施設を購入し、これを再生しようと言うものです。

3~5日間ぐらい滞在して、リラックスして体質を改善できるような滞在施設に、最新医療機器を導入して外からも中からも綺麗に若返るというメディカルスパの施設。

ヨーロッパではスイスのレマン湖ほとりにあるラ・プレリーや、米国アリゾナ州のスパなど有名ですが、日本ではなかなか本格的なものが出来ませんでした。

自分も顧客として年に一度通いたいと思えるような、こうした施設をつくることは昔から夢の一つだったのですよね。

実際レーザー治療でダウンタイムがあるものも、滞在型の施設滞在中にできるのであればやりたいと思われる方も多いことと思います。最近はご夫婦でこうした施術にご興味のある方も多いですので、滞在型であればご夫婦どちらもが施術を受け、どちらかが施術中のときに他方の方はご見学されたりすることも今よりもっとできるかと思います。東京での診療・施術になりますと、奥様のご都合がよい平日昼間はご主人様が忙しく、ご主人様が楽な週末や平日夜は奥様のほうが忙しかったりしますので。

和風建築で、京都の老舗旅館の様に日本のホスピタリティを提供出来れば、体験型施設としても国内外から集客できる施設になる可能性があると思います。

また、小さなお子さんがいて普段はなかなか施術を受けられない方もいらっしゃいますので、こうした方々に向けた受け皿もできると、別の可能性も出てきますよね。

今回は国内でも著名なホテル経営企業とのコラボレーションの企画なので、旅館再生、地域活性化ビジネスとしても将来性を感じました。

実現に向けていくつかハードルがありますので、来月中旬に予定されている次回の打ち合わせまでに各々の宿題を持ち帰ることにしました。

さて、いよいよ三月最後の診療日となりました。

僕のマイアミブログももう5編でおしまい。

来週木曜日からのボストン出張前に仕上げてしまおうと思います。

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キーウェストから戻り、明けた翌朝。

目が覚めると、大西洋の海から日が昇るところでした。

ゆっくりと昇る太陽。

ホテルの窓から見えましたので、望遠レンズで撮ってみました。

本当に美しいですね。

ホテル目の前のサウスビーチを散策してみました。

アメリカ人はジョギングが好きですね。 日本でも流行っていますが。

白い砂浜はこのような感じ。

しかしながら、まだまだ風は冷たいです。

今回宿泊したWinter Havenです。

数年前にマリオットグループが買収したのだそうですが、とても良いホテルでしたよ。

 


■2013年3月 マイアミ AAD全米皮膚科学会出張⑭ セブンマイルブリッジ 大トカゲ ヒッチコック「鳥」 マイアミへの帰還

おはようございます。

今日3月29日はクリニックFの診療日です。

今日は診察の合間に、医療機器企業、医薬品企業、宿泊施設運営企業と3社の打ち合わせが別々にあります。

先ほど医療機器企業との打ち合わせが終わりましたので、ちょっとした隙間時間を使ってブログ上げてしまおうと思います。

今月の頭に滞在した米国皮膚科学会のマイアミブログの続きです。

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キーウェストからの帰り道。

隣に見えるのは、以前使われていた古い橋なのだそうです。

行きで雨だったセブンマイルブリッジもこの通り綺麗に見えました。

橋のふもとで少し休憩。

こちらが今回のレンタカー。

相棒の三菱ギャランです。

初めて乗りましたが、とても良い車でした。

橋の下に向かいましたが、7マイルの橋桁が本当に長い。

1200mm相当の望遠レンズで撮ってみましたが、まるで合わせ鏡のよう。

ずっと先まで見渡すことができます。

ペリカンも見えますね。

この橋の周りには、珍しい動物もいました。

大きなトカゲのようなものが二匹つがいで見えるのがわかりますか?

表情がオスメスで違うのですね。

橋の上はとても風が強いです。

ちょうど中間地点でしたので、こちらで少し休憩しました。

きらめく海が綺麗でしたよ。

僕の隣席のお客さんが立ち去ったのですが、その直後、残ったスナックを食べに多くの鳥たちがやってきました。

思わず、ヒッチコックの「鳥」という映画を思い出しましたよ。

セブンマイルブリッジのふもとは凪で、本当に美しいところでした。

再び帰路に。

セブンマイルブリッジからマイアミまでは2時間半近くかかりました。

マイアミのダウンタウンに着いた時には日が暮れていましたよ。

しかしながら、楽しいドライブでした。

 

 


「エンジニアリング」と「リバース・エンジニアリング」 戦闘機ミグとブラックジャック

おはようございます。

今日は3月27日水曜日。クリニックFの診療日です。

今日は新機器開発の話。

少々長くなってしまいましたが、よろしかったらおつきあいください。

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何かの工学機器を開発することを「エンジニアリング」と言いますが、これは科学的なノウハウを駆使して機器の部品の一部を組み上げたり、機器全体を作り上げることですよね。

レーザー光治療器も、「エンジニアリング」するためには、巨額な費用がかかります。

全く新たな機器を一からつくるとしたら、少なく見積もって数十億円。

この金額を使ってレーザーを開発できる体力のあるレーザー会社が、特にリーマンショック以後のアメリカにはありません。

こうした背景もあってここ数年は新たな技術開発が出来ていないので、新たな機器の発表をするために行われるのが、資金力を持つ会社が技術を持った会社を買収すること。

先日のサイノシュア社によるパロマ社の買収もそうでしたし、サーマクールやフラクセルをつくっているソルタメディカル社はその資金力で、数多くの技術を持つ小さな新興レーザー企業を買収し、機器のラインナップを増やすということをしています。

2008年 ボストンにあるサイノシュア社本社にて

こちらがソルタメディカル社が購入した新興レーザーメーカー。

このようにWebsiteにも買収したブランドが併記されています。

オリジナルの技術が買われてしまうのはちょっとかわいそうな気もしますが、時代の流れなのでしょうね。

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そして、もうひとつの手段が「リバース・エンジニアリング」。

これは他社が作り上げた機器を分解し、それらの設計や技術を解析して、機器を作り上げることです。

既に完成した市場に特許を回避しながら追従機をつくる訳ですから、より安いコストで廉価な機器をつくることが出来ます。

僕は医師であると共に工学者でありたいと思い、現在工学の勉強をしています。

新しい技術を開発した人や企業の努力に敬意を表したいと思っていますので、なるべくオリジナルの技術を開発した会社から機器を購入する様にしています。

世界にはレーザー技術の新たな開発が得意な地域が3カ所あると思っています。

それは大学などの産学協同の開発地域。

○1つ目は、アメリカ・ボストン周辺。

ロックス・アンダソン教授が率いるハーバード大学ウェルマン光医学研究所が医療レーザー機器をつくってきましたので、周りのキャンデラ社、パロマ社、サイノシュア社などが良い機器を開発してきました。

○2つ目は、やはりアメリカ。カルフォルニアです。

カルフォルニア州だけを切り出して国としてカウントしても、ここは世界第8位のGDPを誇る経済地域。UCバークレー、スタンフォード、カルフォルニア工科大学、ベックマン光医学研究所などの理論とアイディアを、周りのソルタメディカル社、キュテラ社、サイトン社などが具現化するのです。

○3つ目は、この業界をご存じない方には意外かもしれませんが、イスラエルです。

イスラエルは元々軍事産業が得意で、レーザーの開発などはお手の物です。さらに、人口比率では博士号(PhD)を持った人が世界で最も多いのです。

ルミナス社、シネロン社、最近興隆しているアルマレーザー社などが挙がりますが、例えばフォトフェイシャル(光治療)なども、元々は戦闘地域ごとに塗り替えが必要な戦闘機の塗装をはがすために開発された技術が応用されたと聞いています。

2004年 テキサスの米国レーザー医学会(ASLMS)にて

こちらは世界で初めてフォトフェイシャルを制作したシモン・エックハウス博士。彼もイスラエル人です。

本来であれば、こうした技術開発は日本が最も得意な分野のはず。

しかしながら、厚生労働省の認可など様々な基準が厳しく、日本では新規レーザー医療機器の開発が難しいのです。

以前も韓国のレーザーメーカーを訪問した時に、

「日本の厚生労働省のおかげで、私たちはレーザーの開発が出来ている」

と言われ、複雑な思いをしたことがあります。

日本の国益にも反しますので、是非とも改善をお願いしてゆきたいところです。

「エンジニアリング」をする企業と、「リバース・エンジニアリング」をする企業との関係は、新薬を作り上げる製薬会社と、特許が切れた有効成分を利用するジェネリック製品との関係に似ていますよね。

ちなみに、TTPによってジェネリック医薬品は危機に陥ると予想されています。

米国は世界最大の知財大国(年9.6兆円規模)であり、ジェネリック製剤に対して新たな治験を要求するなど、当然の様に先発企業の権利強化を要求すると予想されるからです。

そうなると、薬価が上がりますよね。

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「リバース・エンジニアリング」は、軍事産業では当たり前の様に行われていたことでした。

第二次世界大戦中の日本は取り返しのつかない軍事戦略的なミスを繰り返しましたが、当初は戦術レベルでは優位に立っていました。

当時世界最高の技術を持っていた日本の零戦が開発されていたからです。

しかしながら、零戦がアメリカ軍に無傷で捕獲され分解解析されたことで、戦中のわずか数年の間に航空技術が逆転し、空中戦において優位に立たれてしまったことが敗戦理由の一つであったとも言われています。

また、1966年にイラク空軍大佐のムニル・レドファが自機のミグ21に乗って、自国のレーダー網をかいくぐり、敵国のイスラエルに亡命するという事件がおきました。

この亡命話は、イスラエル軍の工作員らが何年もの期間をかけてレドファを懐柔し、周到に準備した結果成功しましたが、結果としてムニル・レドファは100万ドルの報酬を個人的に得た代わりに、祖国を売ってしまったことになりました。

なぜなら、この無傷で手に入れたミグの技術が、短期間に「リバースエンジニアリング」されて、イスラエルは空中戦に置いて優位に立ち、67年の第三次中東戦争で勝利を収めたのです。

この話は手塚治虫の漫画、ブラックジャックの中にもデフォルメして引用されていたので記憶があります。

中学生ぐらいの時に読んだので記憶が定かではないのですが、確か病気の娘を助けるために、ミグをもって日本に亡命したロシア人がブラックジャックを訪れます。ブラックジャックの手術は成功に終わります。

報酬としてミグを要求したブラックジャックに対して、娘の手術の成功を確認した後、パイロットは自分の責任を果たさなければと、ちょっと外に出ると言い残し、戦闘機に戻り、そこで戦闘機とともに自爆して果てるのです。

「リバースエンジニアリング」の危険性と、自分の娘を救うためにまだ若い父の選択した道。

考えさせられましたね。

 


■2013年3月 マイアミ AAD全米皮膚科学会出張⑬ ヘミングウェイの家

おはようございます。

今日3月26日はクリニックFの診療日です。

このところ、花見や博多などのイヴェントがありましたので、マイアミブログ、ちょっと遅れていました。もう来週には日本形成外科学会や、ボストンの米国レーザー医学会(ASLMS)での講演や発表がひかえています。

早めに上げてしまいますね。

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キーウェストを訪れる人にとって外せない場所がもう一つありました。

それはアメリカを代表する小説家の一人 アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)が住んだ家です。

1899年に、医師の父と元声楽家の母の下、六人兄弟の長男として生まれたヘミングウェイ。『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』、大きく評価されノーベル文学賞受賞に繋がった『老人と海』。短編には簡潔文体の作品が多く、これらはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと後に続くハードボイルド文学の原点とされていますが、その文学性だけでなく人物としての彼にも時代を超えて沢山の人々が魅了されてきましたよね。

僕もこれらの小説は高校生の時に読みましたが、1961年にうつ病を罹患してライフルで自殺したという彼の経歴に驚いた覚えがあります。

ヘミングウェイは世界中の様々な場所に居を構えましたが、現在生誕地でもあるアメリカのイリノイ州オークパーク(シカゴ周辺)、長く住んだフロリダ州キーウェスト、キューバのサンチアーゴ・デ・パウラの三つが公開されているのだそうです。

そんなキーウェストの家に行ってみました。

日曜日でしたので、通り沿いに多くの人が集まっています。

こちらの建物のようです。

建物自体が博物館として旅行客に公開されていましたが、立ち寄る時間は残念ながらなし。

この家には「ヘミングウェイの猫」と呼ばれるヘミングウェイが飼っていた多指症のネコの子孫たちが50匹以上も住んでいることも知られています。

これらの猫は近親交配の結果か足の指が6本ある多指症で、ヘミングウェイは幸運を呼ぶ猫だと信じていたのだそうです。

この指が6本ある「多指症」は、人間の場合、1000人に2人の頻度で比較的多く起こる疾患の一つです。

僕も大学病院にいたときに何度も見たことがありますし、実際に豊臣秀吉や、作家のサリンジャーなども6本指だったといわれています。

インパクトがあったのは、映画「羊たちの沈黙」の、ハンニバル・レクター博士もそうでしたね。

そして、ピアニストのリスト。

どんな曲でも初見で弾きこなしたと言われ、超絶的な技巧を持つ当時最高のピアニストで「ピアノの魔術師」と呼ばれていたそうです。

その技巧と音楽性から、ピアニストとして活躍した時代には、「指が6本あるのではないか」ということがまともに信じられていたのだそうです。

実際にはリストが6本指であったという記録はありません(笑)ので、やはり演奏が天才的だったのでしょう。

是非聴いてみたかったものです。


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