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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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■ドバイ・ケニア出張2011冬①ドバイ経由ケニアへ

以前より希望していた中東地区でのレーザークリニック見学。

今回ドバイ(アラブ首長国連邦)でそれが叶うことになりました。

最近は、カタールや同じアラブ首長国連邦のアブダビの方が繁栄しているといわれているのですが、いまだドバイは空路交通の要所です。

年末になんとか時間の調整がつくことになり、旅の計画を練ることになりました。

そして、ちょっと欲張りかなとも思ったのですが、ただ単に日本からドバイを往復するだけでなく、せっかくドバイに行くのだからそこからもうひとつ先まで行ける国はないか。その国とくっつけて旅ができないか。そんなことを考え始めました。

そこで候補の一つにに挙がったのが、ケニア。

僕が、この国際学会周遊記を書きはじめて早7年の歳月が経過しましたが、アフリカ大陸の中でレーザー機器を購入できるぐらいに経済が発達している国は、エジプト南アフリカ共和国しかありません。

つまり、アフリカ大陸には2度しか滞在の経験がないのです。

ケニアのサファリは人生観が変わると言いますし、こんな機会でもないと一生行きそびれてしまうかも。

ケニアには日本から行くとなると大変な時間がかかりますが、ドバイからならわずか5時間で到着します。日程の都合で、行きはダイレクトでケニアに向かい、帰りにドバイに寄る計画を立てました。

日本がクリスマスイブの夜。

僕は、エミレーツ航空に乗り込みました。

この路線は、成田から夜に出発し、中東のアラブ首長国連邦のドバイまで、12時間で到着するものです。

真夜中のドバイ上空。

実はドバイには1997年に観光に来たことがあります。

砂漠の中に点々と都市があるような状態だったのですが、近代化しているようですね。

まだ暗いうちにドバイに着くと、

空港の掲示がすべてアラビア語。

異国に来た気分が徐々に盛り上がってきます。

ドバイの空港で4時間あまりのトランジット。

日本から持ってきた本を二冊も読んでしまいました。

ドバイからケニアに飛び立ちます。

航空機はアラビア半島を横断します。

窓際の席でしたので、外を観ていると、砂漠の不思議な紋様に魅了されます。

以前にドバイに来た時、砂漠(Desert)と砂丘(Dune)の違いを教えてもらいましたが、両者は地上に降りると明確に違います。

Duneは、背の高いもので、50m以上のものもあるのです。

アラビア半島は初めて横断しましたが、本当に大きな砂漠地帯ですね。

3時間以上かけてアラビア半島を横断します。

紛争地帯のソマリアを避け、ケニアの領空に入ります。

写真でわかるでしょうか? この辺りはサバナ(サバンナ 熱帯・亜熱帯地方にみられる草原)が見えます。

一段と違ったアフリカの大地が観ることができます。

そして、いよいよケニアのナイロビ空港に到着。

こちらに到着するまで日本を出発してから約20時間余り。

日本との時差は、約7時間あります。

 


レーザー・光治療の歴史更新

毎年すこしずつ書きため、機会がある毎に修正や更新を加えているレーザー/光治療の歴史

レーザー会社の新入社員や転職キャリアの方々など結構このページがお役に立てているようで、時々声をかけてもらっています。

少々専門的な部分もありますが、良かったら一度読んでみてください。

■レーザーの歴史:http://clinic-f.com/Laser.html


■NY出張2011冬 27 DELICATESSEN「Carnegie Deli」854 7th Avenue, New York, NY

ドイツ語で「美味しいもの」を意味するデリカテッセ(Delikatesse)の複数形であり、サンドイッチや惣菜を売る飲食店であるデリカテッセン。

NY滞在中はもっぱらお世話になることが多いのです(笑)。

この日の朝食。

パンとコーヒー。マッシュドポテトとベーコン+卵 。

だいたい毎朝同じようなものを食べるので、滞在中のメニューは、こんな感じでした。

毎日食べるお店は違ったのですが、見る度に行列が続いていて、ずーっと気になっていたお店がありました。

Carnegie Deli というデリのお店ご存知ですか?

住所は854 7th Avenue, New York, NYです。

1937年にできたお店なのだそうです。

最終日の早朝。まだ暗い時間にようやく食べることができました。

内装はこれまでこの店を訪れた、多くの人々の写真とサインが並んでいます。

こうしてみると壮観ですね。

僕が座った席の隣には、

レニー・クラヴィッツのサインがありました。

こちらの人気店では、こんな朝食を食べました。

最終日の新聞もアップしておきますね。

一つはユーロの債務のこと。

そして、

クレムリンで起こっている暴動について。

でしたよ。

この後、NYCからの帰国になりましたので、こちらのブログに続きます。

出張をはさみ、報告が遅れてしまったのですが、これで2011年12月の国際学会周遊記、NY出張記はおしまいです。


■NY出張2011冬 26 現代版オペラ「ラ・ボエーム」 ロックミュージカル「レント」

NY・ブロードウェイ・ミュージカルの話をもうひとつ。

ミュージカル「RENT」をご存知ですか?

「RENT」はその名の通り、「RENT=家賃」が支払えないニューヨーク・イーストヴィレッジに住む若者達のクリスマスイブに始まる、お金はないけれど将来がある若者達を描いた作品。

ヒロインの名前はミミ(Mimi)。

つまり、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」を1990年代初頭のニューヨークに置き換えた構想なのです。

ラ・ボエームは今回もNYCで観ましたし、現在でも世界中で愛されているオペラですが、そのテーマは普遍的なのですよね。

甘美なプッチーニの音楽とは正反対に、RENTの音楽は80’sのMTV世代の作り上げたロックミュージカルと、伝統的なブロードウェイミュージカルの融合した世界。

舞台に登場する若者も、セクシャル マイノリティー(性的少数者)、麻薬中毒者やAIDS患者など、今までの主流のミュージカルの題材ではないような人たち。

この舞台は音楽も振付けも超一流で、ニューヨークの住民の心をがっちりとつかんだのでしょう。

1996年2月13日、オフブロードウェイのニューヨーク・シアター・ワークショップで初演し大成功のうちに、同年4月29日ブロードウェイのネダーランダー劇場に舞台を移しました。

結局、同年度のトニー賞ミュージカル部門で最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀オリジナル作曲賞、最優秀助演男優を受賞、またピューリッツァー賞ドラマ部門でも最優秀作品賞を受賞するなど、数々の栄冠に輝いのです。

その後12年4カ月で連続上演5140回という、当時歴代7位のロングラン公演記録を残して、ブロードウェイのRENTは2008年9月7日に惜しまれながら幕を落とした伝説のミュージカル。

この「RENT」は、若く才能あふれたジョナサン・ラーソンが作詞・作曲・脚本を担当し、ほぼ独力で書き上げたミュージカルとして知られています。

ラーソンは七年の歳月をかけて彼の最初のミュージカルであるこの大作を書き上げたのですが、その開幕を目前にしたプレビュー公演初日の1996年1月25日未明に胸部大動脈瘤破裂によって35歳の若さで急死したのです。

胸部大動脈破裂が35歳でおこるようなことは滅多にないのですが、唯一マルファン症候群は例外です。ラーソンはマルファン症候群を患っていたことに気付かなかったのです。

しかし、これがまたRENTの都市伝説的な人気に結びついたともいわれています。RENTには熱狂的なファンが世界中に多く存在し、彼らは「レントヘッド」と呼ばれています。

僕も初めて見たときに衝撃を受けて、DVDを購入した記憶があります。

その後、日本を含む15ヵ国に世界公演の旅に出たと聞いていたのです。

実は今回のニューヨーク滞在中に、レントがブロードウェイ(正確にはオフブロードウェイ)に戻ってきていると聞いて、早速チケットを取得して観てきました。

NY滞在中インターネットでチケットを手配できるのですから、よい世の中になったものです。

舞台はアヴェニューQが開催している場所と一緒です。

オフブロードウェイで以前の劇場よりも場所は狭かったのですが、久しぶりにあの感動を味わうことができましたよ。

もしご覧になっていなかったら今お勧めです。


■NY出張2011冬 25 2010年トニー賞受賞作 ミュージカル「メンフィス」

2010年のトニー賞作品賞、脚本賞、楽曲賞などを勝ち取ったミュージカル「メンフィス / Memphis」

今までチケットが取れなかったのですが、ようやく今回観ることができました。

このミュージカルは、アメリカでロックンロールが生まれるまでの歴史のようなものですね。

白人DJとしてエルビスプレスリーの曲を始めて紹介したことで有名な、デューイー・フィリップスの半生をもとにしたものです。

中はものすごい混雑です。

舞台は人種差別が残る1950年代のテネシー州メンフィス。

当時は人種隔離政策によって、白人はカントリーミュージックを、黒人は教会で歌う黒人霊歌より発達したブルースを好んで聴いていました。

ブルースは黒人が初めてアメリカ語を使用して作り上げた楽曲だったともいえるのです。

音楽史的にみると、ヨーロッパ由来の白人の音楽は楽譜と音階をもとにした再演が可能な「メロディー」から発達しましたが、黒人の音楽はアフリカの土着の太鼓のような「リズム」から発展したということがいえます。

このリズム感のよさに注目し、主人公ヒューイが当時のタブーを破り、黒人音楽を白人用ラジオ局でオンエアしたことからこの物語は始まります。

ラジオ局には大反対されますが、聴衆には歓迎されます。

DJヒューイとして全米全土に影響を及ぼすようになり、こちらも当時タブーだったのですが、黒人の歌手と恋に落ちるのです。

ミュージカルではたくさんの音楽が流れますが、白人と黒人の音楽が、アメリカンロックンロールへと集結してゆく様が時代を追って変化してゆくのがわかります。

音楽は素晴らしかったので、それだけでも単純に楽しめますね。

ただし、英語はスラングとかも入っていて、物語を理解しようとすると少し高度です。

このミュージカルの映画版ができる計画がすでにあり、主演役を巡って、ザック・エフロンとジャスティン・ティンバーレイクの2人が競い合っていると現地の雑誌で読みました。

英語に自信のない方は、映画を観てからミュージカルを観てもよさそうですよ。

 


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