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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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今日の僕 20091031

朝から診療の合間に、明日のセミナー用に資料作成と、ブログを書くため、PCのキーボードをずっと叩いていたら、軽い腱鞘炎になってしまいました(笑)。

11月2日からイタリアに向かいます。帰国は11月9日の予定。

ミラノ~フィレンツェ~ローマ。実はミラノとフィレンツェは初めてなので楽しみです。

その前に、まずは明日のトータルアンチエイジングセミナー。

がんばります!

 


百塔の街 ドレスデン

ドレスデンは中世にはザクセン王国の首都として繁栄した街です。

エルベ川をはさんで100以上も塔があるといわれたとても美しい街。

こちらはドレスデン城。

立派ですね。

実はこの街、第二次世界大戦の空襲で一夜にして完全破壊されました。

長い期間、この美しい街は瓦礫の山だったそうです。

少しづつ再建作業は始まり、東西統一後にさらに加速しました。

音楽の殿堂、ゼンパーオペラは1985年、40年の歳月をかけての再建工事が終わって竣工しました。

今晩の演奏が本当に楽しみです。

街の中心にあるツヴィンガー宮殿には、立派な噴水があります。

ドレスデンは、到着日しか観光ができないのがわかっていたので、この宮殿内にあるアルテ・マイスター美術館に直行しました。

ここドレスデンには、もう二枚のフェルメールがあるのです。

それは次のブログで。

 


ライプツィヒのニコライ教会

ライプツィヒは7世紀に造られた街です。中世から商業、金融の町として発展しました。1409年にはドイツで三番目に古い大学もできました。

ゲーテやニーチェ。そして森鴎外もこの地で学んでいます。

もともと知的レヴェルの高かった地域なのでしょう。

ベルリンの壁が壊れたきっかけになったのは、東ドイツの民主化を求めるデモが、このライプツィヒのニコライ教会で始まったことがきっかけなのだそうです。

そのデモの日は10月9日。僕がライプツィヒに立ち寄った日のちょうど20年と二日前の事でした。街では記念式典が行われていましたよ。

このライプツィヒのトーマス教会は、バッハがオルガニスト兼指揮者として生活をしていた場所。

トーマス教会の内部はこんな感じでした。

教会の中には、50年前に移設されたバッハのお墓もありました。

奥に見えるのはバッハ時代と同じパイプオルガン。

皆が記念写真を撮っていましたよ。

目の前にはバッハミュージアムがありましたが、これはちょっと商業的すぎてパス。

そのまま市内中心部のアウエルバッハ・ケラーというレストランに行きました。

このレストラン。ゲーテの「ファウスト」の中に実名で「アウエルバッハの地下酒場」として登場するのです。

お昼時でしたが、とっても混んでいましたよ。

さらに、この写真にあるゲヴァントハウスは、民間のオーケストラとしては世界最古のオーケストラである、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地です。

このオーケストラは、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナー、シュトラウス、そしてフルトヴェングラーがタクトを振った由緒ある交響楽団。

本当はここで演奏を聴きたかったのですが、日程的に公演日が重ならなかったのです。

でも、そんな由緒ある場所を訪れることができて本当にうれしかったですね。

ライブツィヒには2時間ばかり滞在して、ドレスデンに向かいました。

 


アウトバーン、スピード狂のカラヤン

さて、実り多いベルリンEADVの学会最終日を終え、翌日レンタカーを借りて、一路南下。

ドレスデンに向かいます。

実はこの日の夜に、ドレスデンのゼンパーオペラ(ザクセン州立歌劇場)でワーグナーのオペラ「ローエングリン」のチケットを取ってあったのです。

ゼンパーオペラでワーグナーを聴けるなんて、僕のようなクラシック好きにとっては夢のような話。

ベルリンで学会が開催されるのを知った時から、入念に準備していました。

ベルリンからドレスデンまでの距離は約260km。ドイツにはヒトラーが作った高速道路アウトバーンがあります。

最高法定時速はありません。時速無制限。

実際に走ってみて思ったのですが、アウトバーンは日本の高速道路と違ってブラインドコーナーが圧倒的に少ない。遥か先の交通事情まで見渡せます。

さらに速く走る車が来ると、追い越し車線をすぐに空けてくれるなど、マナーも本当によいのです。

途中、何度か雨に降られたのですが、水はけもとても良くて驚きました。

日本で高速道路を走るとき、必要以上に標識があったり、ブラインドコーナーの先を意識して走ったりと、常に高い集中力が要求されるように思います。

また、日本は、高速運転させないように、高速道路には緩やかな左右のカーブをわざとつくっていると聞いた事があります。

日本で高速道路を走るということは、視神経や聴神経などの連続した刺激。つまり脳に対する負荷がかかる作業を持続的に強いられる、ということなんですね。

常に注意を喚起することで居眠り運転をさせない、という意図で作られたのかもしれません。持続した緊張状態にあるため、交感神経も常に亢進した状態になります。

ただし脳科学的にいえば、脳に対する持続的な刺激は次第に慣れが生じてしまい、脳波でみると無刺激とほぼ同じ状況になってしまうのです。長距離を走ると、目を開けたまま脳だけ眠ってしまうという現象もみられます。そして、交感神経が亢進し続けたことにより疲労感は残る。渋滞でいらいらすれば、尚更です。

アウトバーンの場合は、安全な道では速度無制限にする一方で、一定以上のRのついたカーブや、インターチェンジ、高速出入口などの合流がある場合、その地点に差し掛かる手前に、必ず速度制限の標識が出てくるので安全な速度まで落とせます。

いわば、メリハリをつけることで注意を喚起しているのです。

走り終わった後、特にアウトバーンでは眼精疲労が極端に少なくて、身体も楽だったですね。

今回の滞在では、なんと合計1700kmもの道のりを4日で走ってしまったのですが、全くストレスがない。

実際にアウトバーンを走ると、その意義が良くも悪くもよくわかりました。

レンタカーのBMWの性能もよかったので、なんと、この写真の通り、時速200km以上の速度でずっと移動できました。

速度だけ聞くとびっくりしますが、アウトバーンだと、本当にこの速度で決して無理なく安全に走行できるのです。

こうして写真が撮れるぐらい。

車がこの100年間で飛躍的に進化したのですから、日本も高速道路での巡航速度を規制するばかりではなく、速度を上げても事故が少なくなるように、道路をもっと工夫すべきなのかもしれませんね。

僕は今回時速220kmでリミッターぎりぎりで走っていたのにも関わらず、より排気量の多い何台もの車に抜かれました(苦笑)。

そうそう、指揮者ではカラヤンが大変なスピード狂だった事は、よく知られていますよね。スポーツカーをいくつも乗り換えて、最後は自家用ジェット機まで買ってしまったそうです。

アウトバーンでこうした高速運転に常に慣れ親しんでいるのですから、ミハエル・シューマッハのようなドイツ人が、F1を始めとするモータースポーツで強いわけですね。納得してしまいました。

しかしながら、これでは予定していたよりもドレスデンに早く着きすぎてしまいます。

途中、ちょっと道を外れたところに、ドイツの音楽家ゆかりの地、ライプツィヒがあるので、ここに立ち寄ることにしました。

 


オペラ「椿姫」、結核とノーベル賞

この日の夜は、ベルリン国立歌劇場でオペラを鑑賞しました。

題目はヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」

「椿姫」です。

この作品は1853年ヴェネチアのフェニーチェ劇場で初演が行われ、現在では世界で最も愛され、公演回数の多いオペラとして名高いのです。

聞きやすい旋律と分かりやすいストーリー。

ちょうど去年の3月にニューヨークのメトロポリタンオペラでも観劇しましたが、僕も大好きな作品です。

ところで、この作品ですが、実は初演は大失敗だったのだそうです。

それは、ストーリーと配役のミスマッチによるもの。

ご存知の方も多いかと思いますが、ここで椿姫のあらすじをおさらいすると

パリの高級娼婦ヴィオレッタと、彼女を慕うアルフレッドとの恋と別れの物語。劇中ヴィオレッタはある事をアフルレッドの父親から指摘され、アフルレッドのために身を引きくのですが、それをアルフレッドが誤解します。

最終幕でその誤解が解けて、アルフレッドがヴィオレッタに再び会いに行くのですが、時既に遅し、ヴィオレッタは肺結核で亡くなってしまう寸前なのです。

最後にヴィオレッタが死んでしまうところで幕が落ちるのですが、初演の時にヴィオレッタを演じた声楽家が、とてもふくよかで、到底結核で死ぬような体格ではなく、観客が全然感情移入できなかった。

・・・というのが、「大失敗だった」理由として言われています。

ヴェルディは、

「いずれ歴史がこのオペラの真価を判断するだろう」

という言葉を残しています。現在、カルメンと並んで最も演奏される機会の多いこのラ・トラヴィアータ。それを考えるとヴェルディに軍配が上がりそうですね。

ベルリン国立歌劇場に行った夜は大雨で、外から劇場の写真が撮れなかったのがとても残念でした。でも中は

豪奢でしたよ。

ちょっとここで椿姫のヴィオレッタの病気について追記しておきましょう。

アミノグリコシド系の抗生物質=ストレプトマイシンが1943年に単体分離されるまで、結核は死の病でした。

ストレプトマイシンは米ラトガース大学のウクライナ出身の研究者セルマン・ワクスマン教授の研究室にいたアルバート・シャッツという研究生が発見した物質です。

ですが、結核に効くストレプトマイシンの発見の功績により1953年にノーベル医学生理学賞を受賞したのは、ワクスマンだけだったのです。

確かにワクスマンは40年の研究者としての生涯で20種類あまりの抗生物質を分離し、さらに抗生物質、すなわち「Antibiotic」という言葉自体を造った人物。

このノーベル賞受賞に対してシャッツはワクスマンに対して訴訟を起こし、最終的には共同発見者であるという証言を引き出します。

この研究者と指導教官という立場は、医学の研究の世界では非常に微妙な関係です。

論文のトップネームを誰にするか、さらにどの研究者までを共著者にするか?

その論文の重要度が高ければ高いほど、熾烈な戦いになるのです。

かく言う僕も、東大大学院での研究論文で医学博士号を取るとき、僕の論文の共著者名に、誰を載せるかという問題で指導教官同士が喧嘩になってしまったことがありました。

あの時は正直とても緊張しましたし、毎日悩みましたよ。

アカデミックの世界はいろいろ大変なのです(苦笑)。

最近のドイツのオペラは前衛的です。

パリ高級娼婦を題材にしたトラヴィアータの舞台は、ニコールキッドマン主演の映画「ムーランルージュ」でも参考にされ、とても華やかな舞台で知られますが、今回はこの写真のように、舞台上はとても簡素なものでした。

ですが、歌唱力と演技力は確か。

幸せな気持ちいっぱいで劇場を後にしました。

 


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