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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

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モーツアルト、カルロスクライバー

モンブランの万年筆が好きで、年に一度出る限定バージョンを楽しみにしています。

モンブランのフィッツジェラルドの限定ボールペンは、今でも一番使用している筆記用具です。

海外の先生と話しをすると、漆で仕上げをした日本の並木万年筆がモンブランなんかよりもオークションで圧倒的に評価を受けていると聞きます。

でも、モンブランの万年筆がすきなんですよね。

もともと収集癖があるのですが、もう何本も買っています。

今回、オーガナイザー用ミニモデルの万年筆を買いました。

名はウォルフガング・アマデウス・モーツアルト。CDつきでした。

そう今年の1月27日は「モーツアルト生誕250周年」なのです。

モーツアルトの音楽は、オペラから宗教音楽、声楽曲、交響曲、室内楽、ピアノ曲さらには管楽器、グラスハーモニカなどのにいたるまでほぼ全てのジャンルをカバーしています。

彼の書いた楽譜には、一切の修正がなく、そして旋律には不思議と休符もない。いわば無駄な音が一切ないのです。

歴史上では天才と呼ばれた人は何人もいますが、おそらくニュートンの力学やアインシュタインの相対性理論は、数百年たったら同じことを考えた学者が出てくるでしょう。

でも、モーツアルトの音楽は、モーツアルトでなければ絶対に作曲できなかった。

そういった指摘をした人もいました。

「アマデウス」という映画をご覧になりましたか?

彼の天才性、そして奇人性、そして狂人性をよく表現した映画だと思います。

映画にもあったように、彼はある曲を聞いての変奏が本当に得意だったのでしょう。

きらきら星変奏曲なんて、”きらきら光るお空の星よ”のあのフレーズを10の変奏曲でまとめたもので、彼の発想の豊かさを表わしています。

アイネ・クライネ・ナハト・ムジークなんて、あんな旋律、あんな展開どうして思いつくのでしょうか?

アイディアの宝庫、才能の宝庫ですよね。

モーツァルトの生まれた町はオーストリアのザルツブルグですが、主に活躍したのはウィーンです。

実は来月の上旬に、EADV(ヨーロッパ皮膚科泌尿器科学会)に参加するためにフィンランドに行くのですが、2007年のEADVはウィーンで開催されるのです。

ウィーンはぜひとも行ってみたい都市のひとつでしたから、今から楽しみです。

カルロス・クライバーという2004年に亡くなった指揮者をご存知ですか?

彼はめったに指揮をしないが、タクトを振った曲はどれもすべてまったく新しい解釈の名演に変えてしまうという指揮者でした。

彼がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて74年に演奏したベートーヴェンの交響曲 第5番 ハ短調 作品67《運命》のCDを初めて聴いたときの衝撃を今でも思い出します。

中学生のときから何度も聴いて全ての旋律を暗記しているような、あの”運命”がまったく違う曲に聴こえたのです。

ロックやポップスは旋律を覚えてしまえば、なんとなくそれで飽きてしまいますが、クラシックの曲は、全曲を通しての旋律を覚えてからが本当の面白みがあると思います。

指揮者の解釈とそれを表現するオーケストラの相性があったときの、調和と言うのか、一体感と言うのか、それこそ同じ登場人物と舞台背景の中から一つの新たな物語が生み出されるのです。

同じ曲を聴いているのに、こうした解釈があったのかとか,この旋律はこんなに美しく演奏できるんだとか。クライバーに出会って以来、同じ曲のCDを違う指揮者で買って、聴いてみるという、音楽の楽しみ方が増えました。

クライバーのベートーベンなら4番も7番もお勧めです。

シューベルトの未完成も名演です。

本当に素晴らしい指揮者でした。

同じ時代を生きていたにもかかわらず、一度も演奏を直接聴けなかったのが残念です。

クライバーへの思いは、いわば初恋のようなものです。

以前にウィーンから来たという人に「ウィーンでは今でもクライバーが一番人気なのか」質問したのですが、「残念ながら、今では音楽の都ウィーンでもクラシックよりもボンジョビのが人気だよ」と言われました。(笑)


鎌倉のお気に入り

僕は鎌倉市で生まれ育ちましたが、鎌倉には僕のお気に入りのスポットという場所がいくつもあります。

小学校の4年から鎌倉の寺めぐりが趣味だったという、鎌倉のお寺に関してはエキスパート??と自負している僕ですが、中でもとてもお勧めなスポットは、臨済宗建長寺派の禅宗寺院報国寺です。

八幡宮の西には横須賀線も通っており、建長寺や円覚寺、あじさい寺といわれる明月院などがあるので比較的人通りが多いのですが、報国寺は鎌倉の八幡宮に向かって、東の横浜市金沢八景の方角に向かう、朝比奈の切通しの途中にあります。

鎌倉駅から歩いていける距離ですが、30分ぐらいの散歩になりますか。

このお寺の境内の中には、実に風流のある竹林があるのです。

中で日本茶を立てて貰えます。

お茶と茶菓子を食べながら、竹林をぼっと眺めていると、日ごろの疲れが吹っ飛びます。

小さな駐車場がありますので、元気をもらいたい時に横浜横須賀道路を飛ばして行ってくることもあります。

すばらしい景色が待っていますよ。

車で行かなければ、すぐ近くに天台宗の寺で鎌倉幕府が開かれる500年近くも前の平安初期の天平六年(734)に創建された鎌倉最古の寺である杉本寺があります。

雨の日などに行くと、すばらしいです。

ついでに向かいには鎌倉五山の第五位、臨済宗建長寺派の淨妙寺などがあり、この寺では庭園を楽しめます。

もう1つお勧めなのは、鎌倉市長谷にある鎌倉文学館です。

鎌倉にゆかりの文学者は川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子ら300人以上もいるのです。

鎌倉文学館は、加賀百万石の藩主で知られた、旧前田侯爵家の鎌倉別邸でした。三島由紀夫氏が作品「春の雪」の中の別荘のモデルとして描いていることでも知られています。

文学館の庭園の一角には600㎡近いバラ園があります。

毎年、5月の中旬から6月にかけてと10月の中旬から11月中旬には見事な花を付け、見事な花には感動します。今度訪れたら写真をアップしますね。

もう1つカレー好きにはお勧めなのは、小町通りにあるキャラウェイというカレー屋さんです。

八幡宮の若宮大路にラルフローレンの店がありますが、その角を小町通沿いに曲がるのです。

キャラウェイ

休日には11時ごろから行列が出来てしまうのですが、ここのチーズカレーは鎌倉にありがなら、関東カレーの名店20店にも選ばれた名店の絶品です。

実はこの店は、僕の高校生(県立鎌倉高等学校)のときの同級生の実家なのです。

高校生のときにこのお店の二階で徹夜マージャンやって、夜中に厨房に忍び込んで、一緒にカレーを食ったことを思い出します。

今頃どうしているかな??青春時代の思い出ですね。


フラクセル

フラクセルという機械の理論が初めて発表されたのは2004年のダラスの米国レ-ザ-学会でした。

毎年4月の上旬に開催される米国レーザー学会では常に多くの新技術が発表されるため、ダラスの学会ではどのような新しい技術が発表されるのだろうと思っていたところ、開発されたフラクセルの話を聞いたときは衝撃でした。

美容レーザー分野では、1983年よりレーザーの技術の追求ばかりがなされてきましたが、レーザーや光治療は茶色や赤の色素に対して効果が認められています。

つまり色彩的な老化に対しては治療効率が高いといえるのです。

反対にシワやたるみなどの形態的老化に対してはあまり効果がないと考えられていました。

2002年にシワやたるみなどの形態的老化に対して効果があるRF機器(オーロラやポラリス、サーマクール)が発売され、その後もLEDやプラズマといった新しい技術が開発されたため、ちょうど2004年のこの時期は、業者のレーザー離れが始まりつつあったのです。

今までも肌を入れ替えようとするレーザーリサーフェシングという治療が施術されてきましたが、これは半年間以上も治療期間がかかるという一般人には程遠いものでした。

かのエリザベステーラがスイスのレマン湖のほとりに半年間こもって、肌を入れ替える治療をしたという話は伝説です。

フラクセルは肌に70マイクロメーターという小さな穴を空けて、肌のターンオーバーを改善することで、14-17%の肌を入れ替えてしまおうという考えなのです。

しかも5日間ぐらいのダウンタイムで肌の入れ替わりの治療が可能になります。

この治療を6回ぐらい繰り返せば、肌が一通り生まれ変わることになります。


肝斑の患者さん

女性の肌のいわゆるシミは、「老人性色素斑」、「反応性色素沈着症」、「雀卵斑(そばかす)」そして「肝斑」に分けられます。そのうち、最後の肝斑のみが教科書的にはレーザー治療が禁忌であると言われてきました。

肝斑は両目の下からほほ骨の上に左右対称にできる薄いシミです。このシミは女性ホルモンの影響で起こるといわれており、35-45歳ぐらいの女性としてもっとも活発に働くときに目の下に浮いてくるシミです。レーザー治療に抵抗するばかりか、悪化させてしまうのです。

今まではトランサミンやシナールなどの、内服薬を使用してもらうか、オバジ化粧品のように外用薬を使用して薄くするという方法しかありませんでした。

しかしこの治療にも、2ヶ月以上の時間がかかります。

僕は2004年3月の米国レーザー学会でこの肝斑をマックスピールというレーザーを用いて治療する新しい方法を発表をしました。

そのきっかけは面白いことに、ある雑誌社の取材でした。

体験に来た患者さんが、

「このシミを取ってほしいんです」

といったシミがたまたま肝斑だったのです。

「いやー、申し訳ないけれど、このシミだけはレーザーでは取れないんですよ。」

と説明すると、雑誌社の人に

「そこを何とか」

と頼まれました。しかも施術後の写真を撮り終える期限は2週間しかないのです。

正直、困りました。

僕は数年前に読んだ、カーボンを使用したレーザーピールという方法で肝斑を治療したという英語の論文を思い出して、その応用をマックスピールを用いて行ってみたのです。

内服薬と外用薬を当然使用し、マックスピールと赤色LEDのオムニラックスを1週間おきに、併用したのです。

しかしこれがよく効きました。

2週間後には体験の患者さんのシミが殆ど見えなくなってしまったのです。

まさに驚きの結果でした。

その後、正式にデータをとって、学会に備えました。こうしたふとした思い付きによって、日々医学は進歩するのだなと感動した覚えがあります。

去年の春の米国レーザー学会ではフラクセルであれば肝斑を治療できるということがFDA(アメリカ食品薬品衛生局)で認可されました。

今はフラクセルで治療するのが 肝斑治療のfirst choice であると思いますが、施術後にダウンタイムがないという点では、マックスピールを使用した方法の方が優れていると思います。

肝斑治療のご希望がありましたら、ぜひともクリニックにカウンセリングにいらして下さい。ご相談に乗ることができると思います。

 


日本においてベンチャービジネスが育ちにくい理由

大学院に入学した年より、4つのクリニックの経営に関わっているが、そもそもクリニック経営というものは、着眼点、それに対する対応のスピードの重要さなどを加味するといわば、ベンチャービジネスのようなものであるとおもう。日本においてはベンチャービジネスが育ちにくいと言われているが、それには文化、教育、そしてファイナンスの問題があると考えられる。

ベンチャー起業家の育成に必要なものは、第一に知識ではなく風土や文化である。日本文化は“他人と同じ行動を取らなければ死を意識しなければならない“しかしながら勤勉な農耕民族を起源とする。「和をもって尊しとなす」「武士道」「恥の文化」「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」日本人として耳慣れたこれらの言葉は、総じて保守的な国民性を象徴している。元来安定志向であり単一的な思考を好む日本の風土においては、異質な人間や考え方を拒む気質が強く、創造的なアイディアやビジネスは生まれにくいと考える。同じモノの考え方や同質の情報をいくら集めても、そこから創造的なアイディアやビジネスは生まれることは少ないからである。

ベンチャーに適していると言われている米国文化は一言で言えば、雑多な価値観の集合体である。多種多様の人種が激しく出入りし、結果、多くの情報が集まる。混じり合う意見や考えが異質であればあるほど、新しいアイディアやビジネス誕生の糸口に繋がる。“他人と同じ事をしていては生き残れない“狩猟民族を起源とし、個人主義が強い米国文化の特徴が強みになる点である。当然の帰結として、ベンチャーのように人と変わった着眼点をリスクに感じるのは、日本古来の文化に基づく側面にあると言えよう。このような国民性や文化を変えることは困難であるが、これを変える試金石となるのは、やはり今後の日本人教育であると考える。

第二に、日本教育の側面について考察する。“社会に埋もれたシーズとニーズを問題意識として切り取り、そのビジネスプランをインキュベートする。”それがベンチャービジネスに必要な能力だと私は考える。他人と違った価値観を持ち、与えられた情報に対して独自の切り口を見出せるかで勝負が決まるのである。しかし、残念ながら現代日本の教育ではこのような能力を鍛える場が殆ど無い。戦後、日本で教えこまれてきた教育は、得意な教科を伸ばす事よりも、苦手な教科を無くす事に重きを置かれた。さらに学校教育の頂点に位置する大学入試では、記憶を頼りに“答えのある”問題を解く能力が求められた。そのような能力の育成に主眼を置いた偏差値教育は、詰め込み主義や塾の隆盛を招き、偏差値の高い大学に合格するためのテクニックを教える場に成り下がった。日本教育の頂点を極めたエリート大学出身の官僚が、答えのない社会問題を解くのに難渋し、先送りを繰り返す様は、まさに現代教育の皮肉である。結果として、日本の教育は創造性を重視しない単一の価値観をもつ国民性を形成し、多様な個性を無視する社会の形成を招いた。これらは高度成長期に一定の価値観を持つ市場を作り上げ、そのプラットフォームに誰もが欲しがる商品を提供するという日本固有の強力なビジネスモデルを作り上げたが、21世紀となり、価値観が多様化してインターネットを中心として細かいレベルでのオーダーメードができる現在では、これらの日本型のモデルが利用しにくいと言える。また、日本の教育システムでは文系および理系の選択を迫られる時期が早いために、21世紀の文明国家である日本を代表する大学の文系の学生が、物理はニュートン力学の16世紀、化学は17世紀、一番新しい知識を教える生物でも、ワトソンクリックのDNAという60年も前の知識しか持たないことは、科学先進国を標榜する国としては、まさに心もとない。事象を多様な角度から分析する能力と知識を持つためには、文系理系に渡る、ダブルもしくはトリプルメジャードに渡る知識を持つ人間の育成が重要だと考える。

米国の大学には実践的な経営理論を教えるビジネススクールがたくさんあり、多くの学生が起業を志して巣立っていく。日本の大学でもようやくビジネススクールを開設する動きが本格化したが、学問上の知識は多くても、実際には経営の経験がない教授も多く、数や質の面で米国とは比較にならない。実際、卒業後ベンチャー企業に飛び込んでいく学生も残念ながら極めて稀であり、一流大学を一流の成績で出るような人物が選ぶのは、やはり官僚や一流企業が一般的である。第三に実際に起業するときに直面するファイナンスの問題が挙げられる。ファイナンスの問題で第一にあげられるのは、やはり企業にとっての血液とも言える「資金」の調達策であろう。どんなにアイディアが良くても、優秀な人材が数多くいても、事業化するためには資金こそがまず不可欠の大要素である。事実、多くのベンチャーは初期段階にこの金の問題にぶつかっている。冒険をしなければ飛躍はないというので、金が無くて事業を始める。資金がなければ銀行へ借金に行く。ところが、日本の銀行は銀行は必ず、リスクヘッジに土地・不動産を担保にとって金を貸付ける。欧米の銀行と異なって、資産のない、おまけに歴史も短いベンチャー事業に金を貸さない。しかしながら銀行はこの問題についてのみは、近年変わりつつある。担保の土地や不動産が無くても、経常利益を順調に増加させているベンチャーには金を貸すようになった。銀行もこのような会社が返済能力を持っていることにやっと気が付いて、評価基準が欧米型になりつつあり、土地本位制に、経常利益本位制を加えたといえる。

ベンチャー企業を資金面で支援するベンチャーキャピタルも、日米間で大きな隔たりがあるといえる。米国の場合は経営の現場に踏み込んで、助言したり、顧客を紹介したりと、様々な面でベンチャー企業の面倒を見るが、日本のベンチャーキャピタルは出資したベンチャー企業が株式を上場するのをひたすら待つだけ、というところが多い。米国の経営大学院の教授は、教え子のベンチャー企業立ち上げに際し、単なる助言だけでなく、資金提供に至るまでをサポートする。

さらに法的、社会的な問題もある。ストックオプション等に対する規制はようやく日本でもこの問題に手が付けられ始めているが、株式公開するための厳しい条件、そしてそれをクリアするために必要となる年数の長さ、一度大きな失敗をすると敗者復活が難しい失敗を許さない日本の社会、ビジネスがうまくいかないと私財をすべてつぎ込んで頑張る姿勢を見せないと許されない風土が大きなネックになっていると考える。反対に米国では会社借入金が弁済不可能となった場合でも、法律的に個人として責任を負う義務はない。さらに業務上、発生した損害賠償(取扱商品の事故・業務上の交通事故・PL法・使用者責任)が会社として弁済不可能となった場合でも、個人として責任を負う必要が無い。どんな良い商品を開発しても、必ず売れるとは限らない。ビジネスには失敗はつきものであり、敗者復活がたやすい社会環境はベンチャーには追い風になるはずである。

日本人の文化的側面はグローバル化した社会状況下で変化はすると思われるが、長期的には教育により変化させるしかないであろう。記憶勝負の教育システムから、学問の知識を広く浅くいわば共通言語を得るまでの記憶のとどめ、事象について考える教育に変化させる。他人に対して自分の価値観を押付けることは最もおろかなことであることを認識し、国内に多様な価値観を生み出し許容することを目標とした教育が必要である。


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