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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:欧州 ロシア サンクトペテルブルグ編

2011年7月ロシア出張・フラーレン国際学会⑭ 1996年度ノーベル化学賞受賞により

おはようございます。7月27日、今日もクリニックFの診療日です。

今日は診療の合間に書籍の取材が入って忙しくしていますが、頑張ってゆきたいと思います。

さて、僕の新国際学会周遊記は、今月訪れたロシアの話です。

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この日も学会会場に向かいます。

朝ホテルで、今回の発表で自分の名前が載るJAAD(米国皮膚科学会誌)の文献を確認。

一番下にFujimotoの文字が見えますか? 写真だとわかりづらいかもしれませんね。

地下鉄の駅を降りると、この日は晴天で汗ばむぐらいの陽気です。

地下鉄の駅から学会会場となる大学までは、15分ぐらい歩かなければなりません。

こんな感じの道を歩いてゆきます。

天気が違うと大学のイメージも変わりますね。

近くにいた学生さんに声をかけて、写真を撮ってもらいました。

ちなみにこのナノカーボン(フラーレン)学会は、1993年からロシアで開催されています。

1985年に最初に発見されたのは、炭素原子60個で構成されるサッカーボール状の構造を持ったC60フラーレンですが、この発見により、ライス大学のリチャード・スモーリー博士、ロバート・カール博士、そしてサセックス大学のハロルド・クロトー博士が1996年度のノーベル化学賞を受賞しました。

ちょうどノーベル賞の受賞が決まる前後からこの学会が立ち上げられたのでしょうね。

昨日貼られていなかったポスターもあります。

一通り、会場の発表を確認して、このナノカーボン(フラーレン)分野でどのような研究が世界でなされているか俯瞰します。

国際学会の演題の中には、まだ論文となっていない研究発表も沢山あり、次の研究のヒントが含まれていることが多いのです。

一通り、演題を確認した後、会場後にします。

実はこの時期、このサンクトペテルブルグでヨーロッパ大陸系の皮膚科学会が開催されていると、つい先月訪れたイタリアのレーザー会社のDEKA社のマウロから情報を聞いていたのです。

場所を確認すると地下鉄で移動できそうです。

 


2011年7月ロシア出張・フラーレン国際学会⑬ 革命とサンクトペテルブルグ

今日7月26日もクリニックFの診療日です。

ここ数年取り組んできている美容施術前後の画像診断機器の開発会社との月一度の会議のため、今日は早めにクリニックに出勤してきました。

これから会議に入ります。

今月頭に訪れたサンクトペテルブルグの街並みの写真をアップしておきますね。

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サンクトペテルブルグは旧レニングラード。ピョートル大帝によって1703年に築かれた人工都市です。

約300年前は、単なる沼地だったことが信じられないほど都市開発が進んでいます。

旧共産党が作り上げたような建物がたくさん残っていますが、これがすべて西欧の街並みを模倣して、人工的に建設された都だというのですから、本当に驚いてしまいます。

この地はロシア帝国の首都ペトログラード(後にレニングラード、現在はサンクトペテルブルク)でもありましたので、「血の日曜日事件」(1905年)や、ロシア革命(1917年)の2月革命、10月革命の2つの革命の中心となりました。

こちらの写真はサンクトペテルブルグを代表する建築物である、カザンの聖堂。

ネフスキー大通りに面してこの建物があるのですが、写真を見ての通り、半円状に弧を描くコリント式列柱の回廊です。

これはローマのサンピエトロ大聖堂をモチーフにしているのだそうです。

名前はロシア正教会においてもっとも重要視されるイコンのひとつ、「カザンの生神女」に由来したものだそうですが、聞けば、同名の聖堂はロシア国内に沢山あるのだそうです。

こちらは同じく帝政ロシアのシンボルとして1858年に建設されたイサク聖堂。

さらにこちらはエルミタージュ美術館。

河から見ると綺麗です。

街を歩いているとロシア正教会の教会も多く観られますし

短い夏を大切にするように、花を飾った家が多くあるのも興味深かったです。

花は心を豊かにしますね。

同じように短い夏の季節に、この街を歩いていると、色彩豊かに目に入ってくるのが果物屋さんでした。

街でたくさん見かけました。

おいしそうです。

 


2011年7月ロシア出張・フラーレン国際学会⑪ ムソルグスキー記念オペラ・バレエ劇場の「眠れる森の美女」

この日もロシアのナノカーボン(フラーレン)学会に顔を出した後、夜はムソルグスキー記念オペラ・バレエ劇場に向かいました。

このホールは1833年に建てられた旧ミハイロフ・オペラ劇場。

ロシア芸術広場に面した場所にあります。

芸術広場の中央にあるアレクサンドル・プーシキンの記念像が見えますよね。

この広場の後ろに見える建物が2年前に訪れたロシア美術館。

この広場の右手には、いつか訪れたいと思っているショスタコーヴィチ記念フィルハーモニー・大ホールがあります。このホールはチャイコフスキー交響曲第六番「悲愴」の初演がなされたホールとして知られています。

このホールを主に活動するサンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団(旧レニングラード・フィル)は、エフゲニー・ムラヴィンスキーが指揮していた時代には、世界有数の実力を誇るオーケストラと名前が知られていました。

そして、今回訪れたムソルグスキー記念オペラ・バレエ劇場が左手にあります。

この日の題目はチャイコフスキーの「眠れる森の美女」でした。

「Спящата красавица」

つまり、「The sleeping Beauty」

ロシア語ですが、何とか演題は解読(というか想像?)できます。

ムソルグスキー記念オペラ・バレエ劇場は、サンクトぺテルブルグではマリインスキー劇場と並ぶ由緒ある劇場です。

「眠れる森の美女」はちょうど二年前はマリインスキ―劇場でも観たのですが、何度でもチャンスがあれば観たい演目の1つです。

この劇場は、

天井画も

シャンデリアもこの通り、美しく見惚れてしまいました。

訪れていない劇場がヨーロッパにはまだまだ多くあり、新しい劇場には毎回新鮮な感動があります。

最近よく思うのですが、ヨーロッパの著名なシアターは、想像よりもはるかに小さいんですよね。

「日本でクラシックバレエを観たのだけれど、退屈で眠ってしまった。」

なんてご意見を聞きますが、(何を隠そう、実は僕もそうでした)日本のホールはそもそも観劇用にできていないので、ものすごく遠くで豆粒のようにダンサーが踊っているのが見えるだけですものね(苦笑)。

クラシック音楽や西洋絵画を観るのは昔から好きだったのですが、文学、絵画、舞踊、音楽と、4つの西洋芸術が結実した、世界最高級の芸術と言われるバレエやオペラを観るようになったのは、海外の小さな劇場で観てからです。

このように客席から近い劇場で、バレリーナやオペラ歌手の息遣いがわかるぐらい近くで本物のオペラやバレエを観たら、誰でも眠っている暇はなく、心が動くと思いますよ。

「眠れる森の美女」は、魔女に呪いをかけられて100年の眠りについたオーロラ姫が、デジレ王子のキスで目覚める有名なストーリーを軸にして、チャイコフスキーが美しい旋律を作曲しました。

そして、この作品を世界的に知らしめたのは、ロシア帝室バレエのバレエマスターであったマリウス・プティパの振付けと演出。

どのシーンも素晴らしいと思うのですが特に僕が好きなシーンは、第三幕。

オーロラ姫がデジレ王子と結婚式を挙げる際に、招待されたおとぎ話から出てきたお客が順番にダンスを披露するところです。

金、銀、ダイヤモンド、サファイアの4人の精のパ・ド・カトル

2匹の猫のダンス

青い鳥とフロリナ王女のパ・ド・ドゥ

赤ずきんちゃんとおおかみの踊り

シンデレラ姫とフォルチュネ王子のダンス

などなど、次々にシーンが入れ替わり観ていてとても楽しいのです。

きっと西洋の著名な劇場でこのシーンを任されたダンサーは、それこそ一年中集中して練習に励むのでしょう。

今回も素晴らしく鍛錬された肉体によってつくられたパフォーマンスには、本当に感動しました。

「眠れる森の美女」は上演時間が3時間余り。

バレエの演目にしては長いので、終わった時には夜の11時近くになっていました。

しかしながら劇場を出てみると、この通り

白夜の季節であたりは明るいのです。

劇場に入った7時ごろとあまり明るさが変わりませんね。

特にこの日は曇り空だったので、入った時と印象は変わらず。

毎度のことながら不思議な感じがしましたね。


2011年7月ロシア出張・フラーレン国際学会⑩ 2度目のエルミタージュ美術館

おはようございます。今日7月23日土曜日はクリニックFの診療日です。

先週の土曜日はお休みをいただいていたこともあって、予約が溢れてしまい、機器の調整もあるため、診療開始時間を早めて今日は診療しています。

さて、今月出張したロシアブログ。もう少し書いてしまいますね。

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サンクトペテルブルグで最も行きたかった場所は、やはりエルミタージュ美術館です。

サンクトペテルブルグ唯一の宮殿を、美術館として開放したエルミタージュ美術館。すべての展示室を歩くと約20kmもの距離があるといわれています。

ちょうど二年前にこの美術館に行ったのですが、あまりに展示が多くて、そのときはすべてを観る時間がありませんでした。

今回もエルミタージュに行くことができるとわかった前日に、インターネットで翌朝の予約を入れました。

この券があると、入場の長い列に並ばなくてよいのです。

予定がわかっていて日本で予約をとることができる方ならいいのですが、2011年現在、この予約提示はiphoneで画像を見せるだけではなくて、プリントアウトによる提示が必要なようです。

あちらで予約される方は、ホテルでプリントアウトしておくなど、事前に印刷されたほうがいいですよ。

翌朝行ってみると案の定、切符を買うための長い列が…。

皆、平均すると2時間ぐらいは待っているのではないでしょうか?

美術館に入ったのちも、窓から見ると、こんなに長い列が続いています。これらの長い列に並ばなくてよい、というのは大幅な時間の節約になりますので、事前のネット予約は本当にお勧めです。

前回観た部屋はさっと飛ばしながら、目的の部屋に向かいます。

このエルミタージュ美術館には、ダヴィンチの真作が2展あります。

もちろん、この写真のように、美術館でも最も込み合っている部屋となります。

一つがこの「リッタの聖母」

もう一つがこちら「ベヌアの聖母」

です。

ルーブル美術館に所蔵されている「モナリザ」や「岩窟の聖母」、ミラノの「最後の晩餐」などをはじめとして、全世界に十数展しか現存しないと言われているダヴィンチの真作。

現存しているダヴィンチ絵には多くの指紋が残っており、その200余りの指紋はローマ警察に保存されているそうです。

彼の新しい絵が見つかったとされる際には、この指紋が照合されるのです。

面白いですよね。

他にもマティスや

モネなどの絵が飾ってありましたが、

今回印象深かったのは、エルグレコの「使徒ペトロとパウロ」でしょうか。

天国の門の鍵を預けられたので、鍵を持った絵で描かれることが多いペテロ(左)と、キリスト教の教義を作り上げ、書物(聖書)を持った絵で描かれることが多いパウロ(右)。

この絵もその通りに描かれていました。

エルミタージュが素晴らしいのは、その周りが公園のように整備されていること。

皆、短い夏の日を思い思いに楽しみながら、くつろいでいます。

ローラーブレードをやる女の子もいれば

馬車も走る。

この馬車を反対方向から写真にとるとこうなります。

エルミタージュ美術館は、旧参謀本部があった馬蹄形のクリーム色の建物と向かい合っているのです。

このエルミタージュ美術館の前の広場は宮殿広場と呼ばれていて、中央にあるのがアレクサンドルの円柱。

風があったので、僕の髪が舞い上がっていますね。

サンクトぺテルブルグは、観光地の近くに地下鉄の駅がなく、歩くとかなり距離があるのですが、セグウェイツアーを発見しました。

これは便利そうでした。

 


2011年7月ロシア出張・フラーレン国際学会⑨ ロシアでも村上春樹

さて、僕は今東京に戻り、四谷のクリニックFで診療を再開しましたが、このブログでは今月訪れたロシアとシンガポールのブログの続きを終わらせてしまいますね。

まずは、ロシア出張記の続きから。

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サンクトペテルブルグの街を歩いていると、見覚えのある本の表紙が見えます。

村上春樹著「IQ84」です。

こうして見つけると、嬉しくなりますね。

村上春樹の著作は高校生の時から読んでいます。

イスラエル文学賞を取った時に、熱いブログも書きました。

村上春樹の、特に翻訳の文章を読んでいると、日本語ってこれだけ表現の自由度が広いのだなあと感心するときがあります。

「グレートギャッツビー」や、「大きな木」は翻訳が違うだけで、まったく違う印象を受けました。

「IQ84」が、どのようなロシア語に訳されているのか、とても興味があるところですね。

 


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