おはようございます。
今日は3月10日(月)。クリニックFの診療日です。
都内は朝から晴天が広がり、清々しい一日の始まりとなりました。
先週土曜日の外来では、長年クリニックにいらしてくださっている患者さんから誕生日プレゼントをいただきました。
バーバリーのネクタイ。
次の講演で締めてゆこうと思います。
今日発売のこちらの雑誌に僕の論文が一つ載っています。
よろしかったらお読みくださいね。
*****
帰国からひと月たってしまいましたが、パリのブログを終わらせようと思います。
こちら、新しくなったシャルル・ド・ゴール空港。
そうそう、この命名の元となったシャルル・ド・ゴール将軍について、ご存知ですか?
1890年生まれの彼は、フランスの陸軍軍人でフランス第五共和国の初代大統領です。
いわば、ナポレオン以来の、強権的で強いフランスの指導者ですね。
第一次世界大戦での実戦体験から、これからの戦争は塹壕戦ではなく、機動力のある戦車や飛行機を駆使した「機械化部隊」による電撃作戦になることを論じ、彼はいくつかの著書の中でそのことに言及しました。
ちょうど織田信長が戦術でいち早く鉄砲を利用し、優位に立った感じでしょうか。
第二次世界大戦中、対ドイツ戦において実際に師団長として長年主張してきた「機械化戦術」を実際に試す機会を得て実績を作り、1940年には49歳でフランス軍史上最年少の将官となりました。
1944年8月25日にパリが解放されると、戦後すぐに首相に就任し、ルノーやエールフランス航空などの基幹産業を国営化し、戦後フランスを立て直しました。
1955年には政争のため、公的生活からの引退を宣言。
しかしながら、ド・ゴール再登板の声が高まり、1958年9月には大統領に就任して第五共和政を開始し、アルジェリア独立運動によって混乱に陥っていたフランスを立て直しをはかりました。
この後1969年の退陣までの11年間の間、フランスの政局は安定し、巧みな経済政策によってフランス経済は高度成長を遂げ、フランスの国際的地位も急速に高めたのも彼の功績といわれています。
ちなみにフランス海軍の原子力空母にもシャルル・ド・ゴールの名前が残っているだそうですよ。
日本にも10年単位で政権を安定させる、強い指導者が欲しいですよね。
*****
ラウンジの雰囲気も変わりました。
帰国便はJAL。
フランスの田園地帯を飛び、
シベリアの凍土の上を飛び、
綺麗な風紋の雲をみて、
羽田に早朝に帰国しました。
この後、クリニックに出勤して外来再開としましたよ。
最近はこうしたペースで仕事をする機会が増えてきましたね。
これで、新国際学会周遊記、2014年1月IMCAS PARIS編を終わりますね。