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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月(30) ウエストミンスター大聖堂 ダーウィンの進化論がもたらした歴史的変化を考える 王立裁判所

おはようございます。

今日3月12日も快晴ですね。クリニックFの診療日です。

昨日は15年来の友人のカナダ人が、恵比寿に一軒家を買ったというので、ホームパーティーに呼ばれてきました。

311の震災などもあったが、東京は素晴らしい街で離れる気がないので、家を購入したと言っていました。

不思議なことに、確かに僕も、ニューヨーク、ロンドン、パリなど多くの都市に滞在する機会は多いですし、大好きな街なのですが、あまり住みたいとは思わないのです。

ちょっと遊びに行くには良い街という感じ。

でも、東京は違います。

まず、清潔で安全。

衣食住すべてにおいてバランスがよく、やはり住むなら東京に住みたい。

と言いつつも、僕も東京を離れる時がいつかは来るのでしょうね。

僕のブログ国際学会周遊記、年始のヨーロッパブログですが、自分の頭の中ではあと3つで終了しそうです。

木曜日出発の米国皮膚科学会までにはなんとか、間に合いそうです(笑)。

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ロンドンに仕事で来るときは、打ち合わせの合間にできる散歩を楽しみにしています。

バッキンガム宮殿から、ヴィクトリアステーションまで歩く途中にあるウエストミンスター大聖堂。

英国王室のための教会であり、世界遺産であり、ニュートンやマクスウェル、ダーウィン、ヘンデルなどが眠るウェストミンスター寺院(Westminster Abbeyと混同されることが多いのですが、違います。

こちら。

イングランド及びウェールズで最大のカトリック教会なのです。

1995年にウェストミンスター大司教の招きに応えて、女王エリザベス2世が大聖堂を公式訪問して典礼に参加したときは、大きなニュースになったそうです。

イギリスにおいて現役の君主がカトリック教会を公式訪問するのは、なんとイングランド王室史上最高のインテリと称されたヘンリー8世の、16世紀の以来のことであったとか。

初めての大聖堂は、壁と天井一面を覆うモザイク画が素晴らしかったです。

そうそう、「ウェストミンスター寺院に眠るダーウィン」と書きましたが、先日も書いたように異国の地で日本の歴史書を読むのを楽しみにしている僕は、今回の旅でダーウィンのことを思う場面が何度かありました。

今では誰もが疑うことのないダーウィンの「進化論」は、発表されてから200年も経過していない理論ですが、この進化論が宗教論はもとより、社会科学を含むヨーロッパの思想を根底から変えてしまうほどの破壊力を持っていた――

ダーウィンがいなかったら、あるいはダーウィンの誕生があと少し早かったら? または遅かったら?

歴史はどうなっていたのだろう、と想像してみたりしたのです。

こちら、National Portrait Galleryにある、自然科学者チャールズ・ロバート・ダーウィン(1883年)の画像です。

2002年BBCが行った「100名の最も偉大な英国人」投票で、ダーウィンはアイザックニュートンや、ウィリアムシェークスピアを抑えて、学者・文化人としては最上位に選ばれました。

ダーウィンは1809年に英国・ウェストミッドランズにあるシュロップシャーで、医師の父の元に生まれています。

エディンバラ大学で医学、ケンブリッジ大学でキリスト教神学を学びましたが、卒後に乗船したイギリス海軍のビーグル号での5年間に及ぶ航海で、ガラパゴス諸島などに立ち寄り、進化論のヒントを得たと言います。

――すべての生物は変異を持ち、変異のうちの一部は親から子へ伝えられ、その変異の中には生存と繁殖に有利な要因がある。

さらに、限られた資源を生物個体同士が争い存在し続けるための努力を繰り返すことによって、自然選択が起こり、環境に適応したものが生き残ってゆく――。

・・・という進化論の提案は、すべての生物は神の生成物であるという聖書の教えにそもそも背くもので、大変な論議となったことは想像に難くないと思います。

ローマカトリックの教皇ヨハネ・パウロ2世が、1996年に

「進化論は仮説以上のもので、肉体の進化論は認めるが、人間の魂は神に創造されたもの」

であると述べた上で、進化論をキリスト教と矛盾しないものと認め、カトリック教会との和解がなされたのは記憶に新しいですが、米国での進化論論争は、まだ続いているようですね。

この最適者生存の生物学的進化論は、1820年生まれのイギリスの哲学者ハーバート・スペンサーにより、自然(宇宙、生物)のみならず、人間の社会、文化、宗教をも貫く第一原理であると、適応を広げる提案がなされました。

この考え方を、社会進化論(Social Darwinism)と言いますが、19世紀の列強の帝国主義時代には、この理論を後ろ盾に国家の侵略や植民地化が正当化されたのです。

歴史に「もし」を考えても仕方がありませんが、「もし」を考察してみるのも好きな作業の1つです。

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もう少し時間があったので、テンプル騎士団のテンプル寺院を見に行こうと思いたち、地下鉄で移動。

途中の王立裁判所 (Royal Courts of Justice)。

歴史を感じる建物ですね。

テンプル教会は、エルサレムの聖墳墓教会を模したものだと聞いていたので、一度観てみたいと常々思っていました。

ところが目の前の門まで行ったところで、この日は休みであることが判明。

何人かの観光客がいたのですが、一緒に残念がりました(笑)。

この場所はコヴェントガーデンにも近いのです。

歩いて10分程度。

昼食はコヴェントガーデンの一角のこちらのお店で。

ナンと、カレー、それにゴハンを食べました。

美味しそうだったのですが、味は日本のカレーの方がおいしいなあ。

ロンドンでカレーを食べるなら、インド料理やさんにちゃんと行かなきゃいけないですよね(笑)。

 


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