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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:中南米 ペルー編

空中都市マチュピチュ

今回クスコまで来たのは理由がありました。古代インカの空中都市マチュピチュにどうしても行ってみたかったのです。

この遺跡は1911年にハイラム=ビンガムによって発見されたのですが、高地にあったため、スペイン軍の攻略を受けておらず、インカ帝国当時の遺跡がそのまま残っていると言われています。発見当時はそれこそ“草ぼうぼう”で、それを4年間かけて綺麗にしたのだとか。

クスコからマチュピチュまでは、約140km。電車が走っています。3000m級の山の中を4時間以上電車に揺られて行くと、マチュピチュの駅に着きます。マチュピチュ駅からバスに乗り換え、絶壁のような山を400m、約30分かけて登ってゆきます。

間違いなく、日光のいろは坂よりも急な坂でした(笑)。

マチュピチュ遺跡の入口にやっとのことで到着し、そこから山を登り始めるとあるところで、突然視界が開けます。

その光景は・・・思わず息を呑みました。言葉ではなんとも言い表せません。

“Great! Wonderful! Spectacular!”と言った声も周りから聞こえてきます。

噂には聞いていましたし、写真では見たことがあるのですが、写真のファインダーに入っていた視野は、全視野の10%ぐらいなのです。

その遺跡の大きさといい、迫力と言い360度のパノラマには度肝を抜かれました。ああ、ここまで来て良かった、生きてる間にこの光景を見ることが出来て良かったと、心から思いました。

鉄器がなく、文字もなく、キープと呼ばれる綱の結び目によって事象を伝達し、ミイラ信仰や生贄を生業としたインカ帝国。違う文化で育った人間の能力の可能性と言うものを、改めて思い知らされました。

マチュピチュはほとんど絶壁の山の頂上にあるので、下を見ると、約500mの高層ビルの上から地面を覗き込んでいるような視界で、本当に足がすくんでしまいます。

街の中は神殿を中心とした住居エリアと耕筰エリアに綺麗に分けられています。

スペイン語なまりの英語ガイドによると、マチュピチュの遺跡は現在もアメリカのエール大学と共同で発掘作業が行なわれており、全体の30%は再建されているが、10%がまだ未発掘だと考えられているのだそうです。

今後、どんな遺跡や遺産が発掘されるのでしょう。楽しみですよね。

また、2011年には発掘100周年をむかえるということで、記念式典も予定されているようですよ。

明日は朝からアルゼンチンに移動です。まさに大陸を端から端まで移動するので、夜通しの旅になりそうです。


インカ帝国の虹の色

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インカ帝国の国旗は、虹をモチーフにしたものです。

インカの首都クスコの近辺にも、多くの虹色の旗がはためいています。きっちりの7つの色の線があって、とても綺麗でした。虹の色と言えば日本では7色で赤、橙、黄、緑、青、藍、紫で、いわば常識ですが、実は虹の色を7色としない国も多いのです。

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ちなみにイギリスやフランスですと6色。ドイツだと5色。アフリカの一部の国だと2色なんて地域もあります。

視神経という感覚器は同一でしょうから、これらの違いは色を理解する文化の違いなのでしょうね。

光の波長をプリズムによって分離すると虹色に見えるのですが、これはニュートンによって発見された事実です。本来は光の波長によって、連続した変化をしています。

レーザーやIPLの中には、これらの可視光線を使ったものも多く存在します。たとえば、オーロラやライムライトのようなフォトフェイシャル(IPL)光は、黄色から緑色の光を使いますし、脱毛のダイオードレーザーは波長の長い赤外線を利用しています。

一般的に、茶色いメラニンに対する吸収性は波長が短い(紫外線より)方が高いので、シミには効果が高いのですが、色の黒い人にあまり波長の短い光を打ち込むと、火傷をしてしまいます。クリニックFでは、診察をさせていただいた後に、それぞれの人に合わせて、波長とパワーを初期設定して少しづつ調節しながら治療を進めるようにしています。

このようにしてゆくと、透明感のある白い肌が手に入るのです。


古代インカ都市クスコ

2007年にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された世界皮膚科学会。

「わざわざアルゼンチンまで行くのなら、途中ぜひともペルーにも寄っていきなさい」と知人や患者さんからの薦めもあり、アメリカ・ヒューストンで一度飛行機を降りた後は、まずペルーに入りました。

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ペルーの首都リマに着くには、日本からヒューストン経由で最短でも36時間以上かかります。さらにそこから1000km離れたクスコに飛行機で移動。

日本を出発して実に3日後にようやくクスコに着きました。

クスコはあのインカ帝国の首都であった街です。

こんなホテルに泊まりました。
質素でしたが味があってよかったですよ。

この写真はクスコの中心地アルマス広場です。

クスコの街中にはインカ時代の石組みがそのまま残っています。

「カミソリ一枚すら入らない」と言われている緻密な石組み。街を歩いていたら、こんな石が組み込まれた石組みがありました。

角を数えてみると、14角ですよ。鉄器のないインカ帝国で、どうやって作ったのでしょうか?

16世紀にインカを征服したCusukoスペインは、残ったインカの石組みの土台の上にスペイン風建築物を建てました。クスコで大地震があった際に、土台の石組みはひずみ1つ起こさなかったそうですが、スペインの住居はもろくも崩れ去ったそうです。

写真はサクサイワマンという遺跡です。

クスコの高度は3400mですが、この遺跡は4000m近くのところにあります。

ふと手を見ると手先がこんなに真っ青になっています。標高1000m以下のところから2500m以上の高地に48時間以内の短時間に到達した場合、三人のうち、二人が高山病になると言われているのです。

次第に耳鳴りや頭痛、倦怠感を感じてきました。高山病には初めてかかりましたが、きついですね。


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