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藤本院長のブログ(新国際学会周遊記)

■2013年5月ドイツ出張⑦ 無事に帰国しました

本日朝8時半に無事帰国し、クリニックFで外来をしています。

一週間のお休みを頂いていましたので、朝から大忙しでしたが、ようやく一息つきました。

出張中はご迷惑をおかけしました。

今回のドイツ出張には、エールフランスを使いましたので、パリCDG空港経由。

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航空機にディレイがあったものの、初めてのA380の機体に個人的には大満足でした。

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国際学会周遊記のドイツ編は来週から書き始めようと思います。


■2013年5月ドイツ出張⑤ミュンヘン空港で。 近代芸術の始祖としてのワーグナー

一昨日バイロイト祝祭歌劇場で行なわれたワーグナー生誕200周年記念式典に出席し、パリ行きの飛行機に乗るため、ミュンヘンに移動してきました。

ミュンヘンは、ワーグナーを後援したフリードリッヒ2世の住居があった場所。

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こちらの中央がフリードリッヒ2世。

手前の胸像がワーグナーです。

予定を詰め込みすぎて少々慌ただしかったドイツ出張でしたが、これから帰国です。

昨日記念祝典が行われたバイロイト祝祭劇場(Bayreuther Festspielhaus)は、ドイツ・バイロイトにある全館が木造のオペラハウスです。

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このオペラハウスは、リヒャルト・ワーグナーが「ニーベルングの指環」全4話を始めとした自身の作品の上演を目的として計画・設計し、バイエルン王ルートヴィヒ2世の後援を得て1872年に着工、1876年に完成しました。

現在でもワーグナーの子孫達が経営する特別な場所として知られます。

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こちらのお二人ですね。

7月から8月にかけて開催されるバイロイト音楽祭のチケットは、ドイツのワーグナー協会に入会しても、最低8年は待たされるというプラチナチケット。

僕も毎年ドイツに申し込みをしていますが、一度も通知が来た事はありません。

中学生のときにワーグナーを初めて聴き、衝撃を受けて以来、30余年の月日が経ちました。

いつかはこのバイロイト祝祭歌劇場の中で音楽を聴いてみたいと思っていたのですが、ついに生誕200周年という記念すべき年・記念すべき時にそれが叶いました。

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ワーグナーは、音楽家として近代舞台芸術を完成させた人物であるとも言われています。

祝祭歌劇場の内部をよく観察するとわかるのですが、馬蹄形の欧州の劇場というよりは、むしろ現在の映画館に近い階段型の劇場。

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さらに、通常は舞台目の前にあるオーケストラ•ピットが客席と舞台の下に配置されており、客席から見えないようになっているのです。

写真の舞台の前に、小さなピットの隙間が見えますか?

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オーケストラのスタッフが私服で演奏するのも、舞台の脇役に徹しているからこそ。

裏方も演者も、そしてもちろん観客も、この場に集うすべての人間が舞台に集中する事が出来るように、という配慮が随所に込められていることが、ここに来るとよくわかります。

先に書いたように、この劇場はゼンパー案が元になっていると言われています。ワーグナーが「盗用した」という説もありますが、それでもワーグナーがいなければこの劇場が完成しなかったこともまた事実です。

帰国後、こちらの記念式典の動画を見つけました。いつまでリンクがあるかわかりませんが、お楽しみください。

テレビや映画館の原型のような歌劇場を、ワーグナーの設計で作り上げたという訳です。

ハリウッドの監督も、揃ってバイロイトに見学に来ると言います。

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肝心の200周年特別記念演奏会の題目は

指揮 クリスティアン・ティーレマン

歌手 エヴァ・マリア・ヴェストブルック(ジークリンデ)

    ヨハン・ボータ(ジークムント)(リエンツィ)

    クワンチュル・ユン(フンディング)

曲目 楽劇「ワルキューレ」第一幕

    休憩

    楽劇「リエンツィ」序曲とリエンツィの祈り

    楽劇「神々の黄昏」ライン川と葬送行進曲

    楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」前奏曲

でしたよ。

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ワーグナーは思想家としても著名であり

「神は死んだ(も同然だ)(God is as good as dead)」

というドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェに多大な影響を与えました。

イギリスのターナーに始まる風景画の画家は神と宗教から離れることで芸術を完成させ、モネなどの印象派の流れを作りますが、ワーグナーは宗教や神と乖離する事によって成熟した現代芸術の始祖とも言えるのです。

今回一緒に旅行したワグネリアンの研究者仲間の言葉を借りると

「ワーグナーの業績は、レオナルド・ダ・ヴィンチに匹敵する」

と。

ここまでファンを心酔させる作曲家という意味でも、ワーグナーは他に類を見ないのではないでしょうか。

ワーグナーのためにバイエルン王国の財政が傾き、そのためドイツ統一が加速した・・・と言う歴史家も少なくないそうですが、彼の作品にはそういう人を熱狂させ、時に狂わせてしまうものがあるんですよね。

そんなワーグナーは晩年に、13作目の最後のオペラで「パルジファル」という神についての舞台を書きました。

今回ワーグナー生誕の地ライプツィヒでパルジファルを観る事が出来ましたが、本当に夢のような素晴らしい体験でした。

パリ行きの飛行機の時間が来ましたので、続きはパリで書きたいと思います。


■2013年5月ドイツ出張④ゼンパー・オーパー(Semper Oper) ワーグナー生誕200周年前夜祭

おはようございます。引き続きドイツからブログを更新しています。

今日のお昼には、こちらで企業と打ち合わせがありました。また、夕方メールをチェックすると、2013年3本目となる英語のレーザー論文が通過したと知らせがありました。

「Journal of Biomedical Optics」 という工学系のレーザー学会誌です。

マイアミで通過したキー論文があることで、ここ数年レーザー研究の成果が論文としてアクセプトさせやすくなり、徐々にですがこれまで一生懸命やってきたことが少しずつ少しずつ実を結び始めました。

何事も時間がかかりますが、その分しっかりと根を張っていきたいと思います。

昨年10月にも英文論文が通過していますので、ここ7ヶ月で英文論文だけで4報通過した事になります。自己最高新記録ですね。

束の間の喜びの後は再度気を引き締め、弛まぬ努力を肝に銘じ、研究をより頑張っていこうと思います。

さて、僕が今ドイツのどこにいるかと言うと・・・

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ドレスデン歌劇場に移動し、ワーグナー生誕200周年前夜祭にやってきました。

通称「ゼンパー・オーパー」。

建築家ゴットフリート・ゼンパーによって1838年に建設された、見事な歌劇場です。

この劇場はワーグナーが1843年から1849年まで指揮者を務めており、「タンホイザー」などの初演の地。

ワーグナーと深い親交のあった建築家であるゼンパーは、ドレスデン美術館やウィーン宮廷劇場の設計を手掛けたことでも有名です。

ワーグナーがゼンパーによって受けた影響、ゼンパーがワーグナーによって受けた刺激が、ドイツにおけるオペラ史を確固たるものとし、それによりドイツ史における様々なケミストリーが起きていったことは想像に難くありません。

ワーグナー聖地のひとつ・バイロイト祝祭劇場は、かつてゼンパーが設計したミュンヘンの歌劇場案を元にしていると言われています。

※※※※※

僕にとってヨーロッパ出張の楽しみはなんと言っても夜のエンターティメント。ミュージカルやコンサート、そしてオペラ鑑賞です。

今回はワーグナー一色の旅ですので、毎日オペラにどっぷり浸かっています。

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夕方7時。

ゼンパー・オーパー前の広場には、記念祝典のため数多くの人が集まってきました。

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「ローエングリン」、「タンホイザー」、「リエンツィ」とワーグナー・オペラのハイライトをクリスティアン・ティーレマンが振り、ドレスデン交響楽団が演奏し、

今世紀最も人気のあるヘルデンテノール(独: Heldentenor)(ワーグナー作曲の歌劇・楽劇における英雄的な役どころを演じるのに適した声質をもつテノールのこと)であるヨナス・カウフマンが歌いました。

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この歌劇場は内装も素晴らしいのです。

戦時中に破壊され、東ドイツの時代には修復出来なかったのですが、2005年に完全修復がなされました。

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この美しさ。

写真では伝えきれませんが、官能の空間です。

本当に素晴らしい。

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この日の演奏もあまりに感動して、ホテルに戻るときには思わず鼻歌がでてしまいました。

本当にワーグナーのオペラは完成度が高く、素晴らしいですね。

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こちらは翌朝の新聞。

ヨナス・カウフマンと、指揮者クリスティアン・ティーレマンの写真が大きく掲載されていました。

さて、今夜はいよいよ世界のワグネリアンが集結する聖地バイロイトにて誕生祭です。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑧ ケルン大聖堂

ケルン中央駅を降りると、目の前に大聖堂の側面が現れます。

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157mと聞いていましたが、正直、それが実際の大きさと完全に結びついていなかったようで、こんなに巨大な塔だとは・・・というのがはじめて訪れた感想でした。

畏敬の念をここに来た誰もが抱かずにいられないような、そんな建造物です。

まずは中を見学です。

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素晴らしい聖堂です。

こちらの右手には大きな見事な装飾のステンドグラスがあります。

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キリスト教の教義が説明されたこのステンドグラス。

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こちらはバイエルン王ルートヴィヒ1世が奉納したので、「バイエルン窓」と呼ばれているそうです。

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こちらはシュテファン・ロホナー作の「大聖堂の絵DomBild」です。

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さらに、こちらの中央の祭壇には

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世界最大の黄金細工の棺に

「東方三博士の聖遺物」がおさめられています。

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建物の外に出ましたがあまりに大きく、広角カメラの写真に納まりません。

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少し離れてもやっとこの程度。

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苦労して台に乗って、やっと全体像をとらえました(笑)。

この近辺はホーエ通りといって、高級ショッピングモールがあるようで、装飾がきれいでしたね。

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大聖堂の周りを数回廻ったのち、フランクフルトに向かう列車の時間が近づいてきました。

駅で電車を待つ間、こちらのソーセージ屋さんで軽食を取りました。

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ソーセージがぷりぷりして、おいしかったですよ。

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ケルン中央駅からフランクフルト空港に向かいます。

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こちら1月1日夜のフランクフルト空港。

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向かう先はパリのシャルルドゴール空港です。

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暫しの間、ドイツ語圏とはお別れです。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑦ ケルン大聖堂を観にケルンへ日帰り

おはようございます。

今日2月6日はクリニックFの診療日です。

クリニックFには、現在海外在住の日本人で、帰国のたびに定期的に肌のメンテナンスされる方が何人もいるのですが、今日の朝も海外在住の方でした。

白人の国で施術を受けるのは難しいのは予想できると思うのですが、同じアジア人の中でも、肌の質は国によって大きく違います。

日本人の肌は、韓国人や中国人などの大陸系アジア人の肌に比べて繊細で、強いレーザー施術を受けた後のトラブルも良くあります。

レーザーによる肌質改善も、日本人用のパラメーターが必要になりますので、海外で施術をされる機会がある方は慎重にされたほうがいいと思います。

さて、僕の国際学会周遊記は、年始に訪れたドイツの話。アップしてゆきますね。

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昼過ぎに美術館を出たのですが、パリ行きの飛行機は夜20時。

行き先をしばらく考えて、ケルンの大聖堂を観に行くことにしました。

ちょうど1時間ばかりでケルンに移動できるのです。

ケルンの大聖堂は、

ロンドンのウェストミンスター寺院

ミラノのミラノ大聖堂

パリのノートルダム大聖堂などに並ぶ、ゴシック形式の代表的な建築物。

世界最大級の建築物でもあり、僕も是非、一度観に行きたかったのです。

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フランクフルトの駅から高速鉄道(ICE)の切符を買います。

自動販売機で列車の細かい指定までできるのには驚きました。

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こんな鉄道です。

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ライン川沿いの豊かな田園風景を楽しみながら、一時間半ぐらいだったでしょうか。

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ケルンの中央駅にやってきました。

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目の前を観ると大きな聖堂があります。

思ったよりもはるかに巨大です。

次のブログで。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月⑤宴の後 欧州中央銀行 歌劇場 ゲーテハウス

翌朝、ホテルを出てまず目に付いたのが、新年を祝った爆竹や花火の残骸。

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シャンパンのボトルもありますね。

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宴の後。

さて、あいにくの雨模様でしたが、元旦のフランクフルトを歩いてみることにしました。

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駅前のカイザー通りを歩き始めます。

こちら、フランクフルト歌劇場です。

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そして、レーマー広場。旧市庁舎が後ろに見えます。

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こちら渦中のユーロを統括する欧州中央銀行です。

建物の前には、多くのテントがあります。

抗議のテントなのでしょうか。

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フランクフルトといえば、ドイツを代表する文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが生まれた街。

1749年8月28日のことだそうです。

ゲーテといえば「ファウスト」や「若きウェルテルの悩み」「ヘルマンとドロテーア」が有名ですよね。

ゲーテの詩は、クラシック音楽とのかかわりも深いです。

先日ニューヨークで観たグノーのオペラ「ファウスト」もそうですし、このブログでも登場したベルリオーズのオペラ「ファウストの劫罰」もゲーテの著作が題材ですよね。

そして、シューベルトによる歌曲。

「魔王」「野ばら」「糸をつむぐグレートヒェン」「ガニメデ」などシューベルトが生涯作曲した600曲もの歌曲のうち70曲ほどがゲーテの作品に付けられた曲なのだそうです。

こちらは第二次世界大戦で破壊されたのち、再現されたゲーテの生家だそうです。

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ゲーテハウスと書いていました。

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残念ながら1月1日は閉館日です。

ゲーテはフランクフルトでの名門の生まれでした。16歳の時にライプツィヒ大学法学部に学ぶことになりますが、以前のブログにも書きましたが、ファウストの登場舞台や登場人物はライプツィヒに出てきます。

そしてこちらはパリのオペラ座をモデルにしたと言われるフランクフルトのアルテ・オペラ。

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こちらは、ロンドンで観たミュージカル マイケル・ジャクソンのスリラーをやっているようです。

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滞在が長ければぜひ、こちらでオペラを観たかったですね。


■ヨーロッパ4ヶ国巡り 2012年1月④ フランクフルトへ 爆竹、花火

ケニアとドバイから東京に帰国した翌日、2011年の大晦日。

僕はまた成田空港に向かい、フランクフルト行きの飛行機に乗りました。

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約13時間の飛行ののち、現地時間の31日16時に到着。

ちょうど着陸態勢を取った時に、日本が新年を迎えたんですよね。

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さすがに31日だけあって、フランクフルト空港に人がいません。

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電車に乗って、とりあえずフランクフルト中央駅へ。

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17時過ぎにつきましたが、あたりはもう真っ暗。

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フランクフルト駅前のホテルに一泊しました。

新年のため、ホテルの窓からは花火の光や爆竹の鳴る音が聞こえましたよ。


ヴァルトブルグ城の歌合戦の大広間

イタリアから帰ってきたばかりですが、残っていたドイツ・チェコブログを仕上げてしまいますね。

112 バイロイト祝祭劇場と、ワーグナー博物館に立ち寄ったのち、向かったのはドイツのほぼ中心にある「アイゼナハ」という街でした。

バイロイトからこの地まで、約200kmの道のりです。

122 アイゼナハはバッハが生まれ、若き頃のルターが住んだ街です。

123山の上にある中世の城ヴァルトブルグ城に一路向かいました。

024 山の頂上の駐車場に車を停め、雨の中、きつい山道と階段を歩いて行くとヴァルトブルグ城につきます。

022 さて、この城は、音楽好きにとっては、あることでとても有名な場所なのです。

143 城の中に入るためにはツアーガイドによるツアーに入らなければなりません。

152 勝手に城を歩いてはいけないそうなのです。

162 英語+ドイツ語のツアーがありましたので、そのツアーに参加します。

さて、城は広いのですが、僕が行きたかった場所はただ一つ。ガイドの説明がもどかしいぐらい。

やっとのことでその大広間につきました。

168 この広間は「歌合戦の大広間」と言います。

13世紀のヴァルトブルグ城では、多くの詩人やミンネゼンガーと呼ばれる宮廷恋歌家人が招かれていました。

この場で詩歌を競い合っていたのがこの場所。

オペラを観られる方はピンときたかもしれません。

163 そう。

166 この部屋はワーグナーのオペラ「タンホイザー」の第二幕で描かれる、歌合戦の舞台なのです。加えて主役のタンホイザーはこのヴァルトブルグ城の騎士という設定です。

ちなみにこのガイドさんが言っていましたが、当時は歌合戦に負けてしまった人物は首を切られてしまったとか。

中世らしい、恐ろしい話ですね。

005ツアーも終わりにさしかかり、この広間に到着した時に、荘厳なタンホイザーの第二幕の歌合戦の曲が流れていました。

すごいと思ったのは、その場にいた小学生ぐらいの女の子が、曲に気づくと「タンホイザー」とつぶやいて、そのままハミングを始めたのです。

ドイツ人の子供にとっても、ワーグナーの音楽は親しみがあるんだと、その文化度の高さに驚きましたよ。

016 この部屋の隣には、あのマルティン・ルターが新約聖書をドイツ語訳した小部屋がありました。

ルターは、その著作によってカトリック教会から事実上の破門を受け、帝国議会への召喚を受けます。

その会期中に消息を絶ったように見せかけて、このヴァルトブルグ城主のフリードリッヒにかくまわれたのです。

実はこのツアーでは、こちらがメインディッシュだったらしいのですが(笑)、本当に小さな小部屋。

ここでルターが10か月も悩みつつも作業をしたんですね。

そうそう。

このマルティン・ルターが残した言葉の中に

「医学は病人を、数学は悲しむものを、神学は罪人を作る。」

というものがありました。

僕も一人の医師として働いてきましたが、この言葉には感慨深いものがありますね。

ルターは自分が専門にしてきた神学というものに、例えようのない、ある意味の限界を感じていたのでしょうか。

僕も、12年間大学医局に所属し病気の人たちを診てきましたが、医学というものには限界があるんだなと何度も感じた場面がありました。

当時は最も優秀な人間が、万能だと思って神学を学んだわけです。神学者であったルターが、神学について壁を感じて語った言葉の真意が少しわかるような気がしましたよ。

020 このお城から出るときの景色がとてもきれいでした。

126 ごらんください。

続きを読む ヴァルトブルグ城の歌合戦の大広間


1813年生まれの天才

11月2日からイタリアに来ています。

成田から直行便でまずミラノに入り、その後電車でフィレンツェに移動。「Laser Florence 2009」で口演の発表をさせて頂いた後、再び電車に乗って、今はローマにいます。

ミラノでは、スカラ座でバレエ「ジゼル」の初日を観劇しました。こちらはチケットを取るのが大変でしたけど、それだけの価値がある舞台で感動しました。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」も見ることが出来ました。日本から予約しておいたのが良かったようです。

特急電車で入ったフィレンツェでは、メディチ家歴代の美術コレクションが収蔵されたウフィツィ美術館にも行ってきましたよ。こちらも日本から予約していきました。

海外での限られた滞在日程と時間を、120%有効活用するためにはどうしたらいいか。だんだん僕にもコツが掴めてきたようです(笑)。

そして昨日また口演終了直後電車に飛び乗り、到着したローマ。オペラ座でワーグナーのオペラ「タンホイザー」を観劇してきました。この日が最終日だったのです。

ミラノのスカラ座。ローマのオペラ座。イタリアの三大劇場のうち二つに行くことができたのは個人的には本当に嬉しかったです。

肝心の仕事の方は、フィレンツェのレーザー学会で今回僕が発表した

「アジアンスキンにおける、CO2 (10600nm) フラクショナルレーザーとエルビウム・グラス (1550nm) フラクショナルレーザー治療の比較検討」 

は、口演としてもとても興味深い内容だったようで、講演し、いくつかの質問に答え、席に帰るとき、予想外の拍手喝采と温かい言葉を贈って頂きました。日本から遠く離れた異国の地で、他の演者の方より大きな拍手を頂けるとは、研究者としても大変嬉しく光栄なことでした。

来ることができて良かったです。

ネットの環境が思っていた以上に悪く、接続できても、途中ですぐに切れてしまい、いちいち必要以上に時間をとられてしまうので、イタリアの出張記については、また帰国後改めて写真と共にアップしていきたいと思います。

しかしながら、2ヶ月連続でドイツとイタリアという地方文化(公国)が豊かな国を訪れることが出来、その素晴らしさが身に沁みてわかりました。

少しの地理的な違いでも、文化圏が異なると圧倒的な差が至るところに出てくるのです。そして、その差こそが個性であり豊かさであり、文化であり、歴史である。

全国を都市化・東京化しようとした日本政府の政策について、改めて考えさせられましたよ。

また、先月行ったドイツでは二夜連続、ベルリンとドレスデンでヴェルディとワーグナーのオペラを観劇してきましたが、イタリアに今回来て改めて感慨深いな、と思ったことがひとつ。

イタリア・オペラの巨匠であり作曲家のジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディと、ドイツ・オペラの集大成とも言えるヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーは、どちらも同じ1813年生まれなのです。

二人は同じ年だったということになります。

改めてここでヴェルディの代表作を挙げると、「ナブッコ」「エルナーニ」「マクベス」「海賊」「椿姫」「仮面舞踏会」「アイーダ」「オテロ」などなど。

ワーグナーの方は「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグのマイスタージンガー」そして、四部作「ニーベルングの指輪」を代表作としています。

全く同じ年に生まれた、類い稀なる才能を持つ二人の音楽家。

1800年代のドイツ地方とイタリア地方は、国家として存在したイギリスやフランスと違って、まだ小国の寄せ集めでした。

現在のドイツとイタリアが国として成立するのは19世紀の中頃。

ヴェルディとワーグナーの曲が、イタリアとドイツ統一のために、そして国家威信と民族のアイデンティティを鼓舞するために、それぞれ使われたのです。

ヴェルディ最初の成功作となった「ナブッコ」が初演されたミラノ・スカラ座に今回初めて来て、その感激を噛み締めると共に、ヴェルディとワーグナーの生年が同じなんて、偶然の一致とはまさにこの事をいうのではないかと、そして、音楽が果たしうる、また果たすべき役割について、考えてしまいました。

明日、日本に帰国します。


ワーグナー博物館

050バイロイトには、ワーグナー博物館もあります。

ワーグナーはバイロイト祝祭劇場の設計のために妻のコジマとともにこの場所に晩年の住まいを構えたのですが、その場所が現在博物館となって保存されているのです。

055入るなり、ワーグナーのローエングリンが聴こえてきました。

これがまた、思わず鳥肌が立つぐらい雰囲気に合っているのです。

現在でも世界各国から“ワグネリアン”たちがひっきりなしに訪れるこの場所。

053ここでは小さなコンサートがよく行われるようですが、きっとワーグナーも友人を呼んで、このホールで演奏会をしたのでしょう。

056別室にはワーグナーの使用したピアノもありました。

二階にはワーグナーのオペラに使われた衣装や、初演の時のチラシ、楽譜などが展示されていましたよ。残念ながら、写真は禁止されていました。

072この建物の裏にはワーグナーのお墓がありました。

雨の降りしきる中のお参りでした。


ワーグナーの街 バイロイト

041 この日は朝から雨でした。

雨の中、ドレスデンから西へ。一路バイロイトへ向かいます。

042高速掲示板で、 ニュルンベルグやバイロイトの文字が見えてきました。

このフランケン地方のバイロイトには、ワーグナーゆかりの劇場があります。

それが、「バイロイト祝祭劇場」。

ワーグナー・ファンならば、生きている間に一度でいいから行ってみたい、いわばワーグナーの聖地みたいなもの。

ワーグナーはこの劇場の設計から関わっており、そのためここは世界で最も音響効果の素晴らしい劇場とも言われています。082

紅葉がきれいなこの道を一路、祝祭劇場に向かいます。

坂を登りきると劇場が姿を現しました。

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写真では何度も観た事がありますが、やはり実物は違います。

バイロイトに行った日は、ちょうど月曜日。祝祭劇場はお休みで、劇場内の見学はできませんでしたが、この場所に辿り着いたということだけで胸がいっぱいになりました。

この劇場で毎年7月と8月に行われるバイロイト音楽祭は、ワーグナーの曲のみ(+厳密にはワーグナーの曲以外で唯一、ベートーベン交響曲第9番)が演奏される、世界でもユニークな音楽祭であることで知られています。

音楽祭は、チケットを買えば誰でも行ける、というものではないことも、クラシック音楽フリークの間では有名です。

バイロイト音楽祭のチケットをとるのに最も確実な方法は、まず、祝祭劇場会員になって、毎年会費を納めること。そして、仮に会員となり今から予約したとしても、チケットを手に入れるためにはなんと7年以上も待たなければならないというのです。

世界最高レベルのプレミアムチケットです。

先日、オペラ好きな僕の研究者友達と話していて話題に上がったのですが、彼はインターネットのオークションで、この夏のバイロイト音楽祭のチケットを見つけたのだそうです。20数万円という値がついていたのだとか。

声をかけたら絶対一緒に行くというに違いないと、僕の顔がすぐ頭に浮かんだらしいのですが、

会員限定のチケットのため、会場入口で当日名前を確認されるという噂があるから、仮に競り落とし僕と一緒に行ったとしても、アジア人はこの地では目立つし入れない可能性もないわけじゃない、と考え、思いとどまったのだそうです。

でも、もしその時に声をかけられていたら、僕は行っていたかもしれません(笑)。

091一生の内一度でいい いつか聴く機会があれば良いなと思いますよ。087

098今回の旅を一緒に過ごしたBMWと写真を撮りました。

088紅葉が本当に綺麗でしたよ。

さて、今回ドイツから帰国後に見つけたのが、このバイロイト祝祭劇場で演奏された、ワーグナーオペラ全集。33枚ものCDが入っていて、6,407円!

もちろん即買ってしまいました。スタッフにぶつぶつ言われながらも、今、クリニックのBGMにしているPCのi-tunesに入れてもらっています。

今月にはクリニックのBGMに流れると思いますので、クリニックにいらしたらぜひお聴きになってくださいね。


感動のオペラ「ローエングリン」

再び、ドイツ出張記です。

この日の夜はドレスデンの由緒あるゼンパーオペラ(ザクセン州歌劇場)で、ワーグナーの名作オペラ「ローエングリン」を観劇しました。035

向かう前からわくわくしていましたが、劇場に近づくとライティングも幻想的で、さらに期待が高まります。

005 ゼンパーオペラは、ワーグナーの「タンホイザー」や「さまよえるオランダ人」が初演された場所です。

007 戦後再建されたのですが、中の装飾はとても美しく、目を凝らしていつまでも見ていたい気分でした。

009 海外の劇場で、その地の観客とともに、雰囲気を楽しみながらオペラを観るのは、最高の贅沢ですね。

004さて、オペラ「ローエングリン」です。

ワーグナーの音楽としても、すばらしい旋律の多い、最も完成されたオペラの一つだと思います。

ワーグナー・ロマンティック・オペラの最終章。

ブラバント公国の跡継ぎ問題で争う公国の王女エルザと、フリードリヒ伯爵の物語。

伯爵(と妻)の策略で窮地に陥ったエルザが、自分を助けてくれる騎士が来るのを祈ります。

もうだめだという時に、白鳥に引かれたそりで、白鳥の騎士「ローエングリン」がやってくるのです。

ストーリーをわかっているとはいえ、ストーリーが進むにつれ会場は熱気に包まれます。

しかも、ドイツで見るドイツ語オペラは字幕がないんですね。考えてみれば当り前のことなのですが、印象深かったなあ。

011 幕間には、いつもスパークリングワインを飲むのですが、素晴らしい舞台のとき、これが一番幸せな瞬間です。ここまでの舞台を振返り、感動し、余韻に浸り、そしてこの後に何が待っているのかをあれやこれや想像しながら、歴史あるホールで飲む一杯。

興奮して暑くなり、上着を脱いでしまいました(笑)。

028 幕間に見に行った楽譜です。

第三幕ではローエングリンとエルザの結婚式が始まります。

これがまたすべてのキャストの衣裳が本当に美しいのです。

そうそう、いわゆる結婚式で演奏される、結婚行進曲には二つの種類があるのをご存知ですか?

一つはメンデルスゾーンの歌劇「真夏の夜の夢」の結婚行進曲。 ジャジャジャジャーン(ドドドドー)から始まる歌。

もう一つよく使われるのは、このローエングリンの結婚行進曲

ジャン・ジャジャジャーン(ソ・ドドド) ジャン・ジャジャジャーン(ソ・レシド)の旋律。

「ジャジャジャジャーン」じゃわからないですよね(苦笑)。語彙が少なくてすみません。

こちらもYOU TUBEです。

・・・なのですが、この曲が劇中で使われた時は、演奏があまりに素晴らしくて、僕は感動して涙が出そうでしたよ。

このローエングリンの結婚式の曲で式を挙げたカップルは数多いと思うのですが、実はこのオペラではこの曲の流れた後わすか数分後に、この夫婦間には、悲劇が訪れてしまうのです・・・。

幕が落ちる時にはローエングリンは去り、エルザは死んでしまいます。

029 今回のオペラ。本当に演出が素晴らしく、観客はスタンディングオベーションの大喝采でした。

多くの公国に分かれていたドイツの小国の軍服もすべて違うデザインでした。

030今をときめくクラウス・フローリアン・フォークト(klaus Florian Vogt)を主役に置いた配役も素晴らしく、オペラ「ローエングリン」がますます好きになってしまいましたよ。

記憶に残る公演でした。

036雨の中、夜のドレスデンをホテルまで帰りました。


ドレスデンのフェルメール、ラファエロのマドンナ

さて、ドイツ・チェコ出張記に戻ります。

ドレスデン・ツヴィンガー宮殿の中のアルテ・マイスター美術館にやってきました。

152 窓からの借景は宮殿の噴水が見える見事なもの。

まずはお目当てのフェルメールの部屋に向かいます。

169

2枚の絵がならんでいます。

148 一枚はこの

「手紙を読む少女」

フェルメールはこの絵で単身女性像を描く、自分の絵のスタイルを作り上げたといわれています。

そしてこの絵の右下の部分に注目。

カーテンがかかっていますが、X線解析により、この部位にテーブルとワイングラスが描かれていたのがわかっているのだそうです。

カーテンを引くことによって、絵の中の人物と、同じ部屋にいるかのような気持ちにさせられるなあ

・・・と、興味深く見せてもらいましたよ。

150そしてもう1枚はこの作品、

「取り持ち女」です。

この作品、高貴で寡黙な絵を描く印象のあるフェルメールにしては、極めて異質な作品といわれています。

この場所は売春宿。

黄色い売春婦に対して、黒い頭巾をかぶった“取り持ち女”が赤い服の男性に商談を持ちかけ、それが成立した時の絵だと言われています。

あのフェルメールがなぜこんな絵を???

と思いますよね。

この絵は、プロテスタント的な観点から、

「慎むべき行為の規範」

ともいうべきものを示したもので、教訓と風俗画の境界線に位置するものではないかと考察する本を読んだことがあります。

「フェルメールが日本人にとって、とても親しみやすいのは、他の画家と違って宗教画が少ないので、キリスト教の聖書のようなバックグランドの知識がなくても作品を楽しめるからだ」

と述べていた人もいますが、なるほどその通りかもしれませんね。

そしてもうひとつ、この美術館で見ておきたかった絵があります。

153 印象的な紫とピンクの間のような色を使った壁に囲まれた部屋。ひとつ向こうにも同じ部屋が・・・奥に・・・

見えてきましたよ。

155とても大きなこの作品。ラファエロの傑作

「システィーナのマドンナ」

です。

158 優しそうなこの微笑み。

微笑み度は、モナリザよりも印象深くないですか(笑)?


百塔の街 ドレスデン

  001_2

ドレスデンは中世にはザクセン王国の首都として繁栄した街です。

140 エルベ川をはさんで100以上も塔があるといわれたとても美しい街。

こちらはドレスデン城。

立派ですね。

実はこの街、第二次世界大戦の空襲で一夜にして完全破壊されました。

長い期間、この美しい街は瓦礫の山だったそうです。

少しづつ再建作業は始まり、東西統一後にさらに加速しました。

141音楽の殿堂、ゼンパーオペラは1985年、40年の歳月をかけての再建工事が終わって竣工しました。

今晩の演奏が本当に楽しみです。

162街の中心にあるツヴィンガー宮殿には、立派な噴水があります。

145 ドレスデンは、到着日しか観光ができないのがわかっていたので、この宮殿内にあるアルテ・マイスター美術館に直行しました。

ここドレスデンには、もう二枚のフェルメールがあるのです。

それは次のブログで。


ライプツィヒのニコライ教会

060ライプツィヒは7世紀に造られた街です。中世から商業、金融の町として発展しました。1409年にはドイツで三番目に古い大学もできました。

ゲーテやニーチェ。そして森鴎外もこの地で学んでいます。

055 もともと知的レヴェルの高かった地域なのでしょう。

ベルリンの壁が壊れたきっかけになったのは、東ドイツの民主化を求めるデモが、このライプツィヒのニコライ教会で始まったことがきっかけなのだそうです。

そのデモの日は10月9日。僕がライプツィヒに立ち寄った日のちょうど20年と二日前の事でした。街では記念式典が行われていましたよ。

059 このライプツィヒのトーマス教会は、バッハがオルガニスト兼指揮者として生活をしていた場所。

062 トーマス教会の内部はこんな感じでした。

096教会の中には、50年前に移設されたバッハのお墓もありました。

071 奥に見えるのはバッハ時代と同じパイプオルガン。

皆が記念写真を撮っていましたよ。

目の前にはバッハミュージアムがありましたが、これはちょっと商業的すぎてパス。

089 そのまま市内中心部のアウエルバッハ・ケラーというレストランに行きました。

091 このレストラン。ゲーテの「ファウスト」の中に実名で「アウエルバッハの地下酒場」として登場するのです。

お昼時でしたが、とっても混んでいましたよ。

112 さらに、この写真にあるゲヴァントハウスは、民間のオーケストラとしては世界最古のオーケストラである、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス・オーケストラの本拠地です。

このオーケストラは、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ワーグナー、シュトラウス、そしてフルトヴェングラーがタクトを振った由緒ある交響楽団。

本当はここで演奏を聴きたかったのですが、日程的に公演日が重ならなかったのです。

でも、そんな由緒ある場所を訪れることができて本当にうれしかったですね。

ライブツィヒには2時間ばかり滞在して、ドレスデンに向かいました。


アウトバーン、スピード狂のカラヤン

さて、実り多いベルリンEADVの学会最終日を終え、翌日レンタカーを借りて、一路南下。

ドレスデンに向かいます。

実はこの日の夜に、ドレスデンのゼンパーオペラ(ザクセン州立歌劇場)でワーグナーのオペラ「ローエングリン」のチケットを取ってあったのです。

ゼンパーオペラでワーグナーを聴けるなんて、僕のようなクラシック好きにとっては夢のような話。

ベルリンで学会が開催されるのを知った時から、入念に準備していました。

041 ベルリンからドレスデンまでの距離は約260km。ドイツにはヒトラーが作った高速道路アウトバーンがあります。

最高法定時速はありません。時速無制限。

126 実際に走ってみて思ったのですが、アウトバーンは日本の高速道路と違ってブラインドコーナーが圧倒的に少ない。遥か先の交通事情まで見渡せます。

さらに速く走る車が来ると、追い越し車線をすぐに空けてくれるなど、マナーも本当によいのです。

途中、何度か雨に降られたのですが、水はけもとても良くて驚きました。

日本で高速道路を走るとき、必要以上に標識があったり、ブラインドコーナーの先を意識して走ったりと、常に高い集中力が要求されるように思います。

また、日本は、高速運転させないように、高速道路には緩やかな左右のカーブをわざとつくっていると聞いた事があります。

日本で高速道路を走るということは、視神経や聴神経などの連続した刺激。つまり脳に対する負荷がかかる作業を持続的に強いられる、ということなんですね。

常に注意を喚起することで居眠り運転をさせない、という意図で作られたのかもしれません。持続した緊張状態にあるため、交感神経も常に亢進した状態になります。

ただし脳科学的にいえば、脳に対する持続的な刺激は次第に慣れが生じてしまい、脳波でみると無刺激とほぼ同じ状況になってしまうのです。長距離を走ると、目を開けたまま脳だけ眠ってしまうという現象もみられます。そして、交感神経が亢進し続けたことにより疲労感は残る。渋滞でいらいらすれば、尚更です。

アウトバーンの場合は、安全な道では速度無制限にする一方で、一定以上のRのついたカーブや、インターチェンジ、高速出入口などの合流がある場合、その地点に差し掛かる手前に、必ず速度制限の標識が出てくるので安全な速度まで落とせます。

いわば、メリハリをつけることで注意を喚起しているのです。

走り終わった後、特にアウトバーンでは眼精疲労が極端に少なくて、身体も楽だったですね。

今回の滞在では、なんと合計1700kmもの道のりを4日で走ってしまったのですが、全くストレスがない。

実際にアウトバーンを走ると、その意義が良くも悪くもよくわかりました。

116 レンタカーのBMWの性能もよかったので、なんと、この写真の通り、時速200km以上の速度でずっと移動できました。

速度だけ聞くとびっくりしますが、アウトバーンだと、本当にこの速度で決して無理なく安全に走行できるのです。

こうして写真が撮れるぐらい。

車がこの100年間で飛躍的に進化したのですから、日本も高速道路での巡航速度を規制するばかりではなく、速度を上げても事故が少なくなるように、道路をもっと工夫すべきなのかもしれませんね。

僕は今回時速220kmでリミッターぎりぎりで走っていたのにも関わらず、より排気量の多い何台もの車に抜かれました(苦笑)。

そうそう、指揮者ではカラヤンが大変なスピード狂だった事は、よく知られていますよね。スポーツカーをいくつも乗り換えて、最後は自家用ジェット機まで買ってしまったそうです。

アウトバーンでこうした高速運転に常に慣れ親しんでいるのですから、ミハエル・シューマッハのようなドイツ人が、F1を始めとするモータースポーツで強いわけですね。納得してしまいました。

しかしながら、これでは予定していたよりもドレスデンに早く着きすぎてしまいます。

途中、ちょっと道を外れたところに、ドイツの音楽家ゆかりの地、ライプツィヒがあるので、ここに立ち寄ることにしました。


オペラ「椿姫」、結核とノーベル賞

025 この日の夜は、ベルリン国立歌劇場でオペラを鑑賞しました。

031題目はヴェルディの「ラ・トラヴィアータ」 

「椿姫」です。

この作品は1853年ヴェネチアのフェニーチェ劇場で初演が行われ、現在では世界で最も愛され、公演回数の多いオペラとして名高いのです。

聞きやすい旋律と分かりやすいストーリー。

ちょうど去年の3月にニューヨークのメトロポリタンオペラでも観劇しましたが、僕も大好きな作品です。

ところで、この作品ですが、実は初演は大失敗だったのだそうです。

それは、ストーリーと配役のミスマッチによるもの。

ご存知の方も多いかと思いますが、ここで椿姫のあらすじをおさらいすると

パリの高級娼婦ヴィオレッタと、彼女を慕うアルフレッドとの恋と別れの物語。劇中ヴィオレッタはある事をアフルレッドの父親から指摘され、アフルレッドのために身を引きくのですが、それをアルフレッドが誤解します。

最終幕でその誤解が解けて、アルフレッドがヴィオレッタに再び会いに行くのですが、時既に遅し、ヴィオレッタは肺結核で亡くなってしまう寸前なのです。

最後にヴィオレッタが死んでしまうところで幕が落ちるのですが、初演の時にヴィオレッタを演じた声楽家が、とてもふくよかで、到底結核で死ぬような体格ではなく、観客が全然感情移入できなかった。

・・・というのが、「大失敗だった」理由として言われています。

ヴェルディは、

「いずれ歴史がこのオペラの真価を判断するだろう」

という言葉を残しています。現在、カルメンと並んで最も演奏される機会の多いこのラ・トラヴィアータ。それを考えるとヴェルディに軍配が上がりそうですね。

ベルリン国立歌劇場に行った夜は大雨で、外から劇場の写真が撮れなかったのがとても残念でした。でも中は

029豪奢でしたよ。

ちょっとここで椿姫のヴィオレッタの病気について追記しておきましょう。

アミノグリコシド系の抗生物質=ストレプトマイシンが1943年に単体分離されるまで、結核は死の病でした。

ストレプトマイシンは米ラトガース大学のウクライナ出身の研究者セルマン・ワクスマン教授の研究室にいたアルバート・シャッツという研究生が発見した物質です。

ですが、結核に効くストレプトマイシンの発見の功績により1953年にノーベル医学生理学賞を受賞したのは、ワクスマンだけだったのです。

確かにワクスマンは40年の研究者としての生涯で20種類あまりの抗生物質を分離し、さらに抗生物質、すなわち「Antibiotic」という言葉自体を造った人物。

このノーベル賞受賞に対してシャッツはワクスマンに対して訴訟を起こし、最終的には共同発見者であるという証言を引き出します。

この研究者と指導教官という立場は、医学の研究の世界では非常に微妙な関係です。

論文のトップネームを誰にするか、さらにどの研究者までを共著者にするか?

その論文の重要度が高ければ高いほど、熾烈な戦いになるのです。

かく言う僕も、東大大学院での研究論文で医学博士号を取るとき、僕の論文の共著者名に、誰を載せるかという問題で指導教官同士が喧嘩になってしまったことがありました。

あの時は正直とても緊張しましたし、毎日悩みましたよ。

アカデミックの世界はいろいろ大変なのです(苦笑)。

035 最近のドイツのオペラは前衛的です。

パリ高級娼婦を題材にしたトラヴィアータの舞台は、ニコールキッドマン主演の映画「ムーランルージュ」でも参考にされ、とても華やかな舞台で知られますが、今回はこの写真のように、舞台上はとても簡素なものでした。

ですが、歌唱力と演技力は確か。

036 幸せな気持ちいっぱいで劇場を後にしました。


ベルリンの絵画館の2枚のフェルメール

日本でもフェルメールの人気は止まるところを知りませんね。

世界でも30数枚しか残されていないフェルメールの絵ですが、贋作が見つかったり、高額で落札されたりなど、話題に事欠きません。

今回、訪問した旧ドイツ領域にはフェルメールの絵が4枚あります。

2枚はこのベルリンの絵画館に。そして残りの2枚はドレスデンのアルテ・マイスター絵画館にあるのです。

今回、4枚とも見ることができましたので、ブログでご報告してゆきますね。

絵画館は6時まででしたので、5時に学会が終わった後、フェルメールだけを見るつもりで絵画館に急ぎます。

153 「真珠の首飾りの女」は世界でも最も評価の高い作品の一つです。

フェルメール前期の作品は、大人数が部屋に入った大きな額に入った絵。

後期の作品は、一人を題材にして、窓の前にいる構図の絵。いわゆる室内女性単身像と呼ばれるもの。

・・・とがらりと作風が変わります。

154 彼の描く光が素晴らしく、僕は大好きです。ニューヨークやワシントンDCに行ったときにも作品を鑑賞してきました。

きれいな描写ですよね。

155 フェルメールはもう一作ありました。「紳士とワインを飲む女」です。

151 他にもボッティチェリのビーナスや、

161 大作「歌う天使たちを伴う聖母子」がありました。

001 マリア様の顔が穏やかで印象に残りましたよ。

もう少し長く居たかったなあ。


世界遺産 博物館の島

057 さて、これが世界遺産「博物館の島」にある、ペルガモン博物館です。

089 この絵ハガキにあるように、本当に川の中州に5つの博物館があるのですよ。

056 川岸は蚤の市のような感じになっています。

彼はワイングラスを使った演奏をしていました。

水を使った演奏なので、ちょっと寒そう。

051_2 ベルリンの壁を飛び越える兵士。

090 様々な絵を売っているスペースもあります。

091 バイオリンの絵もあります。

121_2 こんなところを散策するもの楽しかったですよ。

122 皆賑やかに午後の日よりを楽しんでいます。

059 橋を渡っていよいよ博物館に入ります。

058 ベルリンにいけるのであればと、僕はとてもこのペルガモン博物館に行くのを楽しみにしていたのです。

060入口を入ると、建物の中にはいきなりゼウスの大祭壇が現れるのです。その圧倒的な存在感を前にすると、ただただ感心し、心が動かされます。

この紀元前180年にできた遺跡は、トルコで発掘されてからここに運びこまれたのだそうです。

067 この門だけでもかなり驚いたのですが、隣の部屋にはミレトスの市場門。

071そしてその先には古代バビロニアのイシュタール門

072 そして行列通りがそれぞれ展示されていました。

これだけの巨大建造物を運んでしまうというスケールには驚きましたよ。

ドイツが世界に誇るだけありますね。


ベルリン大聖堂

旧東ドイツ地区をながれるシュプレー川です。

055この川の中州には、5つの博物館と、このベルリン大聖堂が集まっているのですが、この地区は「博物館の島」と言われる世界遺産なのです。

  098

ベルリン大聖堂。

ベルリンの天候は悪かったのですが、このときちょうど太陽が差し込んできて、写真が綺麗に撮れました。

099補修が終わった中もとても見どころがありました。

教会に入った時にはちょうど聖歌隊が演奏をしていました。

皆聴き入っていましたよ。

100こちらはドームです。高さが114mもあるのだそうです。

102中では結婚式らしきものをしていました。

なんだか不自然だなあと観ていましたが、あることに気づきました。声が女性の声なのです。

話をしていた司祭が、女性だったのです。

初めて女性の司祭さんを見たので、びっくりしました。

097第二次世界大戦で、崩壊したのち、1993年に修復が終わったのだそうですが、本当に立派な建物ですね。

この日は寒かったので、終日ジャンパーで過ごしました。


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