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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

江田島の旧海軍兵学校 戦前日本のエリート教育システム

呉の実家で久しぶりに皆で昼食をとった後、ドライブを兼ねて父とふたり家を出ました。

まずは、海軍病院で生まれた父の初宮参りをした、亀山神社を参拝。

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そのまま家に帰るにはちょっと時間的にも早いので、

じゃあ江田島にでも行こうか?

という話になりました。

「旧海軍兵学校見学はツアーに予約が必要で、今日は休日だしそもそもないんじゃないかな?」

という父の横でスマートフォンを使い調べてみると、約一時間後に休日最後のツアーがあることがわかりました。

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造船の街、呉ではいまだに戦艦も作っています。

こうした街並みを見て、音戸の瀬戸の橋を越え、車で思い出話をしながら車を走らせます。

途中いくつか工事渋滞があったにも関わらず、旧海軍兵学校についたのはちょうどツアーの10分前。

何かに導かれたかのようでした。

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この学校は海軍士官だった僕の祖父や親族たちの母校でもありますが、実は、現在全く関係のないアカデミックな世界で仕事に就いている父も、大学卒業後ここで一年間学んでいます。

旧海軍兵学校は、明治21年に東京・築地から移転して以来、海軍将校養成の基地として若い人の憧れを集めてきました。

現在では、海上自衛隊の幹部候補生学校や第1術科学校などになっています。

尋常中学校を学年で一番の成績で卒業した人たちが、この校舎を目指してしのぎを削ったのです。

海軍兵学校の入学は一高(現東京大学教養部)より難しかったと言います。

米国のアナポリスと英国のダートマスに並び、日本の江田島は、その厳しくも権威ある教育から「世界三大海軍学校」と呼ばれ、世界から尊敬をされていたと聞いています。

戦前の日本の海軍のエリート教育方法は、戦後にすべて解体されてしまい、まったく違う教育システムに移行したわけですが、こうした日本独自のエリート教育体制が失われたことは、戦後の日本にとっても大きな痛手だったのではないかと思います。

個人的には、こうした教育のゆがみが70年もたった後にも、国益に影響を与えている部分を否定できないように思います。

赤レンガ校舎。

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この赤レンガの一つ一つが、イギリスから遥々運ばれてきたのだそうです。

レンガ一つが当時の日本人労働者の日当二日分に相当したのだそうです。

目の細かいきれいなレンガでした。

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構内にある教育参考館には、旧海軍関係の資料など14,000点が展示されています。

特に、神風特攻隊員たちの遺書や遺品が数多く並んでいて、これには胸が痛みました。

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こちらは戦艦大和の大砲の砲丸です。

資料館の卒業生の写真の並ぶ部屋では、祖父の名前と写真も見つけました。

祖父は他の人より一年早く入学試験に受かったようで、学年でも秀才の誉れ高かったようです。

38歳で戦中に病気により亡くなりましたが、まだまだやり残したことは山ほどあったことでしょう。さぞかし無念であったでしょうね。

僕は人生3度目の訪問でしたが、父と行ったのは初めてでした。

思えばこの場所は、藤本家の原点のひとつなのかもしれません。

土産物売り場では自衛隊のマークの入った制服、帽子や、お菓子など、様々な記念品 お土産等が売られていました。

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実家には祖父が海外で購入したカルメンやシューベルトの未完成のSPレコードが残っています。

会ったことはないですが、クラシック音楽好きなのはやはり血でしょうか。

生きて元気な祖父に一度会ってみたかったですね。


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