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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

グレン・グールド

ピアノのクラシック曲が好きで、多くのピアニストを聴いてきました。中でも特別お気に入りは、ディヌ・リパッティとグレン・グールドです。リパッティはステレオ録音がまったく残っていないので、その技巧の素晴らしさは想像つかないのですが、グレン・グールドは80年代まで健在だったこともあり、多くのCDや著作を残してくれています。

グールドの母は旧姓をグリーグといい、母方の曽祖父のいとこが高名なノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグであったといいます。音楽家の血が流れているのですね。彼はかなりの変人で、演奏会に気に入ったピアノを持ち込ませるのは当たり前で、ピアノを弾くときのいすの高さにこだわって、いすの足を切らせてみたり、それで膝が邪魔になると、ピアノ自体を台をつけて持ち上げさせたり、ステージが始まる前に、儀式のように腕から先を温水につけたり、主催者にはいろいろな要求をしました。当時でもかなりの実績を持つピアニストであったにも関わらず、32歳の時に、ステージから一切身を引き、限られた人間としか接触しなくなります。その後は1982年に50歳で他界するその二日前まで演奏活動を行い、スタジオでのレコーディングに徹しました。

音色が美しいピアニストならば、アラウやルプー。音色が真実なるピアニストならリヒテルやペトリが挙げられるとおもいますが、グールドは、技巧が優れている点ではリパッティやホロビッツに匹敵しますが、音色をそぎ落とし、音楽の骨格をむき出しにしたような、なんともいえない音色でピアノを奏でるのです。いわばわざわざ反ピアノ的な演奏をして、ピアノにそぐわないような音色を偏愛するのです。グールドの研究家でもあるフランスの精神分析学者ミシェル・シュネデールは、グールドの音楽に対する姿勢は神を知るための行為であったと表現していたのを思い出します。確かにグールドの演奏は神秘的なところがあります。装飾を一切省いた、はっきりと区切りがある、点描的な演奏とでも言うべきでしょうか。

初めて彼を聴いたのは、バッハの『インヴェンションとシンフォニア』でした。なぜこんなにも難しく(哲学的に?)バッハを弾くのだろうと思いました。なんと言ったらよいのか、普通なら速い速度で弾かれる部分を半分以下のスピードで弾いたり、その逆をわざとやったりするのです。クラシックの場合、新規性を求めて演奏をすると、品位が失われてしまうこともありますが、彼は非常にうまく作曲家の意図を演奏の中で中和させているのです。

ゴールドベルク変奏曲も二回、録音していますが、聞き比べてみると、まったく曲が違って聴こえます。常に感性が変化しているのでしょう。平均律クラヴィーアも何百回も聴いたと思います。そうそう、平均律クラヴィーアで思い出すのはバグダットカフェという映画です。だいぶ前に観たのですが、なんの特徴も変哲もない、ある小太りのおばさんが寂れた街のカフェにやってきて、そのカフェをとても人気のカフェに変えてゆくのです。その映画のストーリーとはまったく関係のない挿入なのですが、ある黒人の男の子が、母親に怒られながら、バッハの平均律クラヴィーアを弾くのです。そう、アヴェマリアの歌詞もついている、ドミソドミソドミの曲です。最初は物凄く下手で、聴くのもつらいのですが、何回かこの子のシーンが挿入されるたびに腕が上達していきます。他にもストーリーと関係のない挿入があって、そのおばさんに好意を持つ絵描きのおじさんが、おばさんをモデルに絵を描き始めます。おばさんは最初は緊張した顔をしているのですが、シーンの挿入ごとに次第に心開いて、最後はヌードを描かせるまでになるのです。ストーリーは、ほとんどないのですが映像と音楽だけが鮮明に印象に残る、とても不思議な映画でした。

グールドはバッハを好んだため(おそらくバッハの対位法的精神が彼の相に合ったのでしょう。)あまりにバッハのイメージが強いのですが、ベートーヴェンやモーツアルトのピアノ協奏曲、ブラームスのピアノ曲も得意でした。コンサートは絶対に開かなかったのですが、ラジオ、テレビ出演の演奏も多かったため、多くの演奏が残っています。CDのジャケットでは彼の端正な顔が見られます。カナダのトロントには彼のお墓があります。僕も8年ぐらい前にトロントに行ったときに彼のお墓を探してみたのですが、残念ながら見つけられませんでした。いつか訪れてみたいと思います。


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