昨日の休診日はひさしぶりにのんびり。
オペラやミュージカルのDVDをいくつか観て過ごしました。
ちょうど今月の「魅惑のオペラ」第28巻も家に届いたので、こちらも観ることができましたよ。
今月のお題目は、ヘンデルの「セルセ」。
今、日本以外の国では、ヘンデルのオペラが再評価されているのだそうです。
日本では聴くことのない「セルセ」を僕はこのDVDで初めて観ました。劇中最初に歌われる「ヘンデルのラルゴ」。本当に心が動かされてしまいました。
この画像は動画ではないですが、今聴いても素晴らしい。
オペラの良いところは、視覚と聴覚どちらにも刺激と感動があるところではないかと思っています。
以前に元東京大学医学部解剖学教室の養老孟司教授の著作を読んで、なるほどと思ったことがありました。
言葉は、目で見ても、耳で聞いても同じです。ただし、それを統合させるためにはある要素が必要になる。
視覚にないものは何か?
それは「時間」です。写真をとっても絵を描いても、そこに時間は映らないし、描けない。目にとって、時間は前提にならないのです。
一方で、聴覚にないものは何か?
それは「空間」です。いわゆるデカルト座標は視覚にしか成り立たない。聴覚は極座標で距離と方向(角度)しか存在しないのです。
目が耳を理解するためには「時間」という概念を得る必要があり、耳が目を理解するためには「空間」の概念を得る必要がある。
それでお互いを共通認識するための、「時」「空」というものが言葉の基本になった。
そんなことが書いてあったのです。素晴らしい洞察ですよね。
「百聞は一見に如かず」
ということわざがありますが、聴覚と違って時間的概念のない視覚には、論理というものがないことに気付きます。
「だまし絵」を思い浮かべてください。人間の脳は視覚的情報の、「一見」には、大脳連合野の情報が多大に入り込みます。脳が想像で、得られなかった視野情報を埋めてしまうため、騙されやすい構造になっているのです。
逆に聴覚とは、論理です。
そもそも、論理というものは、項目の「時間的な前後感覚」が問われる認識システムです。
人間は、聴覚から入った時間的論理性がある情報に対しては、ミスを犯しにくい構造になっているのです。
医学的に説明すると、人が外界を認識する感覚機能、いわゆる人間の五感は視・聴・嗅・触・味覚ですが、このうち視覚、触覚、味覚は大脳皮質の連合野において脚色され、過去の人生の記憶を含めた情報が補われることによって、初めて認知できる感覚です。
ちょっとマスクされてしまうと、正確な情報刺激にはなり得ないのです。
この証拠ではないですが、以前にTV番組でこんな光景を見たことはありませんか? 目隠しをしてワインを飲むと、多くのグルメで有名な芸能人たちが、良いワインを当てられない・・・という企画番組。
逆にアルコールを飲めない未成年の方が、匂いだけで正解を当てたりして盛り上りましたが、これもある意味的を得ているのです。
聴覚と嗅覚は、より原始脳に近いのです。
日常生活を思い出してみても、生理的に避けたい、嫌な臭いや音がありますよね。
この聴覚と嗅覚のからの感覚は、古い脳と言われる大脳辺縁系に直接刺激を与えるため、恐怖や感動などの情動に対しては、より強い影響を与えるのです。
音楽療法や、アロマセラピーが精神の安定により多くの影響を伝えるのも、理解できます。
表題の、視覚と聴覚。どちらの感覚器がより心情を動かすか?
の答えを医学的に説明すると、「圧倒的に聴覚野の影響の方が強い」ということになるのです。
オペラを観ていても、舞台演出は、情報としてはもちろん目に入ってくるのですが、鳥肌が立つ様な沸き立つ様な感動がおこる時は、むしろ歌手の歌声やオーケストラの盛り上がるシーンだったかもしれないと思うと、納得しませんか?