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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

カテゴリー:音楽・オペラ・バレエ・ミュージカル

クラシックコンサート 筋肉協奏曲

昨日は早稲田大学ビジネススクール川上智子教授率いるクラシカエール実行委員会のクラシックコンサート企画。

筋肉協奏曲。

教授よりご招待を受けてサントリーホールに聴きに?観に?行ってきました。

クリニックFでも昨年は協賛させていただいた企画。

クラシックを身近に感じてもらうには良いですよね。

ブルーオーシャン戦略の研究室率いる早稲田ビジネススクールの企画ですので、新たなマーケティングと新市場の開拓という点で、プロジェクションマッピング、空手、手品など様々なパフォーマンスとクラシック音楽との融合があり、毎回楽しみにしています。

今回のコラボテーマは筋肉。

筋肉を使うパフォーマーが4組も登場して、楽しませていただきました。

僕も数年前に書いた本、「筋肉こそ金(きん)なり」はAmazonで一位もとりましたが、筋肉を鍛える事の医学的なメリットをまとめ、さらに実際の鍛えかたについても述べた本。

以前の医学では筋肉は解剖学的な意味合いしか無かったのですが、21世紀に入り、筋肉細胞がマイオカインという多くのメッセージ物質を体内の多くの細胞とやり取りをしていることがわかってきました。

加齢とともに急速に失われれる筋肉。

男女ともにアンチエイジング目的でも筋肉を鍛える事によるメリットも、多くのエビデンスが得られるようになってきました。

「筋肉こそ金(きん)なり」Amazon

かく言う僕も、今年はなんとなく落ちてきたドライバーの飛距離を伸ばそうと、HIFEM、磁気エネルギーで筋肉を鍛えるエムスカルプトの施術を3年ぶりに再開したところ、早速激しい筋肉痛になってます。苦笑。


情熱大陸 ピアニストの藤田真央くん

昨日の情熱大陸観ましたか?

ピアニストの藤田真央くん。

音楽について全精力をかけて、そして努力して、真摯に向き合っている姿が感動でした。

苦労も多いでしょうが、好きな事を仕事にして、尚且つ他人を喜ばせられる事が出来るって本当に幸せな事ですね。

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今年得度を得るために、僕は仏教学院に通っているのですが、釈迦の基本的な教えの一つに、八正道というものがあります。

正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定

とされるもの。それぞれの言葉の意味は仏門の教えを語る多くのサイトが出ています。

外国語を明確に翻訳するときに、少し考えないといけないのは、それぞれの言語で表す「概念」は常に少しずれているという事。

当然のことながら、もともとの釈迦が使ったパーリー語に相当する日本語が、まったく同じ意味とは言えません。

しかしながらどの用語を検索してみても、多くの解釈をそれぞれの言葉で説明されていますので、最低でも10人ぐらいの文章から、新たな概念を括り直すようなイメージを持った方がいいのでしょうね。

八正道の中の「正命(しょうみょう)」という言葉は、正しい生活と訳している人も多いのですが、お釈迦様が使われたパーリ語では、samma-ajiva(サンマーアージワ)というのだそうです。

アージーワとは、「何をして生計を立てているのか」という意味。

つまり、仕事のことを指すのです。

「正命」とは、人の迷惑になる仕事をせず、皆に役立つ仕事をすることと言っても良いと思います。

「間違った仕事をして、生計を立ててはいけない」と言えば、あまりにも当たり前のことです。

仕事の条件とは、

1)人の役に立つこと、人に喜んでもらえること

2)さらに自分も仕事により喜びを感じることができること

3)生活をするのに見合った収入を得ることができること

4)さらに人の迷惑となる仕事をしないこと

具体的には、毒、武器、麻薬の製造と売買、さらに生き物の売買をしてはならないというのが仏教の教えなのだそうです。

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こうして考えると、アーティストは素晴らしい職業だなあと思うとともに、医師として、趣味と興味を持って「医学×レーザー」と「医学×音楽」の二つを専門分野として扱うことができる自分は、正命を選んだなあと心から嬉しく思うのです。


情熱大陸 日本を代表するピアニスト藤田真央くんが登場

明日の夜11時の情熱大陸。

日本を代表するピアニスト、藤田真央くんが登場です。

初めて真央君の演奏を聴いたのは、6‐7年前の、もちろん彼がまだ10代の時。

格の違う多彩な音色で、ここまでの人が日本に現れるのか!必ず世界に出る人だと直感し、同時に衝撃をうけました。

それ以来の大ファン。

コンサートにも通い続けましたが、いつも真央君のピアノの生音を求めてしまう自分がいるのです。

本当に素晴らしいご縁をいただき、大ファンだった真央君の演奏で指揮をさせていただくお願いをさせていただいた、わずか3か月後に2019年のチャイコフスキー国際コンクールで第二位に入賞。

世界から注目される存在になりました。

その半年後の、2020年3月2日の僕の50歳の誕生日の本番。

世界の藤田真央の足だけは引っ張らないようにと、ほとんど寝ずに指揮棒を振り、譜面を読みましたが、世界中からオファーが来る中、本当に僕なんかのためにピアノを弾いてくれた真央くんに感謝しかありませんでした。

指揮の最中に真後ろで聴いた美しいピアノの旋律とオーケストラの調和で、大脳新皮質がすべてドーパミンに満たされた可能ような恍惚感と、演奏が終わった後の完全なるBurnout、燃え尽きたような感覚。

今でもはっきりと覚えています。

一生の宝ですね。

以下、情熱大陸のWEBより

名門レーベルから世界デビュー果たした24歳!

巨匠らからラブコール殺到「この才能は“事件”だ」

去年夏、ヨーロッパ屈指の伝統と格式を誇るスイス「ルツェルン音楽祭」に、一人の日本人ピアニストが招かれた。

藤田真央…当時23歳の若さでの抜擢は極めて異例だが、彼の瑞々しく多彩な音色と、繊細かつ圧倒的な表現力は聴衆を魅了した。

2019年、チャイコフスキー国際コンクールで第2位に輝き、ワレリー・ゲルギエフやリッカルド・シャイーといった巨匠マエストロたちの寵愛を受けて名門オーケストラと次々共演。

2021年にはクラシックの名門レーベル「ソニークラシカル」と日本人ピアニストとして初めて専属レコーディングのワールドワイド契約を結び、世界デビューアルバム「モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集」が160カ国でリリースされた。

一気にスターダムにのし上がった藤田は、無邪気な少年の面影を残しながらも、いたって冷静だ。

どんな場所で演奏したか、どれだけ聴衆を集めたか、メディアはどう評価したか…そんなことはどうでもいい。

あくまでも”一音一音を大切に…”自分の理想の音楽が届けられたかどうかにこだわっている。

そんな姿勢を学んだのが、去年春に亡くなった恩師・野島稔(享年76)だった。

唯一無二の音色、ピアノに対する求道的な姿勢…余計なことは一切語らない師を少しでも知りたくて、愛煙家の一面さえも真似てみた。野島の存在は藤田をつねに励まし続けている。

番組では、世界を魅了するピアニスト・藤田真央を追い、華やかな「ルツェルン音楽祭」の舞台裏から国内でのモーツァルト演奏会、友人の結婚式参列やベルリンでの一人暮らしも見届けた。

新しいオファーが絶えない藤田。

その一つが音楽の殿堂「カーネギーホール」からのリサイタルの依頼だった。

入念に準備を進める中、浮かんできたのは、恩師・野島との最後の電話。

「君のリサイタルが聞きたい…」藤田はニューヨークへの旅立ちを前に、ある演奏会を計画する。そこには天真爛漫な普段の表情とはまた別の、音楽家としての覚悟や凄みが滲み出ていた。


3年前 コロナ2019が流行し始めた時

3年前の今頃といえば、コロナ2019が流行し始めた時。

50歳の誕生日のために、両親も招待して新宿初台のオペラシティでやったラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の指揮。

一年半前から企画して、集中してプロに指揮を1年間習いました。

本番1週間前のこの日、生まれて初めての本物のオーケストラの指揮の練習もしなければならない中、
ロシアでゲルギエフ指揮で演奏していた藤田真央くんと、
第一部での対談をお願いしたニューヨークにお住まいだった和央ようかさんの安全な帰国を待ち、
開催1週間前にたった19名の感染者情報に悩み、6kgも痩せて本番を迎えたのを思い出しました。

タイでもマスクをしていた人は殆どいませんでした。

3年間の長いトンネルでしたが、ウイルス弱体化によって、ようやく終わりを迎えそうですね。

https://takahirofujimoto.com/blog/blog/diary/post_26998/


合唱曲「流浪の民」

「流浪の民」という合唱曲ご存知ですか?

母校鎌倉高校は合唱祭が盛んで、毎年クラス投票で曲を選んだのですが、僕はこの曲が好きだったのですが、結局一度も歌えませんでした。

作曲はあのロベルト・シューマン。シューマンの歌曲の多くは何故か1840年に書かれていますが、この流浪の民も1840年の作品です。欧州に増えた異国出身のロマノ民(ジプシー)についての歌ですが、この異国情緒漂う和音展開が独自で何とも言えず、素敵ですよね。

1840年と言えば、アジアでは欧州列強が力を伸ばし、清とイギリスの間でアヘン戦争が始まった年です。

強国清の敗退を受けて、江戸幕府が対外軟化、さらには開国に向けて大きく舵を切るのですが、携帯もなく、電話もなく、いまとは全く違うスピード感で時代は流れていたのでしょうね。


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