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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

医療と経営

大学を卒業して初めて外来に出て、診療することでお金をもらうということに、とても違和感を感じたのを覚えています。医者になる前は、「感謝されてお金をもらえるなんてなんていい商売なんだ」と勝手に想像していたのですが、社会的責任や、患者さんにとっての生涯を決めるような大きな局面で、医療という命に関わる知財を提供することで、お金をもらうというシステムが、どうしても割り切れなかったのです。名医として名高かった死んだ祖父が、息子たちを一人も医者にしなかったというのも分かる気がします。

医療と経営は二律背反します。良い医療、特に最先端の医療を提供しようとすれば、経営面で病院はその組織の維持さえ出来ない状態になります。医師は心から良い医療を提供したい。しかし、病院を経営する人間にとっては、そんなことをやられてはたまらないわけです。診療の公共性を増すために、日本は利益の配分が出来ず、出資比率が経営決定権に関与しない医療法人なるものを作りましたが、そもそもこのような仕組みが経済市場の中で、うまく行くはずがありません。極論ですが、病院でお金を稼ごうと思ったら、盲腸の手術を素晴らしい手術で成功させて3日で退院させるより、失敗して術後感染させ、抗生剤を垂れ流して2週間入院させれば良いのです。

落ち着いて医療関係者が診療を行うためには、人間的な余裕が必要だと思います。それは時間的余裕、精神的余裕、そして経済的余裕です。今の日本の医師にこれらの余裕があるのでしょうか?極限状態で働かされている医師の中には不謹慎な発言をする人間も確かにいます。死に日常的に触れる事で、だんだん人間としての感覚を失ってしまうのです、いや、逆に失うようにしなければ自分の精神を維持できない場合だってあるのです。

大学病院にいた時に、ガンの患者さんに余命を説明している外科医師が、ショックを受けている患者さんに「ガンで死ぬのがそんなにいやかなー。僕なんて、もう死んじゃいたいけれど。」という言葉を口に出しているのを聞いて、耳を疑いました。彼の理論では、人間は所詮、致死率100%なのだし、ガンだったら余命があるので、その期間に身辺整理が出来る。脳梗塞や脳出血で突然死んでしまったら、それさえ出来ないでしょう。ということを言いたかったのだと思います。それにしても酷すぎますけどね。

ただ、自分もそうだったのですが、日常死に関わっていると、人間は必ず死ぬし、突然事故に巻き込まれることも多いから、いつでも死を受け入れられるというか、明日死んでもしょうがないか、という達観した気持ちになってきます。だから今日全力で頑張れるわけです。そういえば医者の平均寿命は他の職種より10歳近く、短いんですよね。無理して生活していることもあるでしょうし、精神的に参ってしまう人、手術中に肝炎の患者さんの血を浴びて、肝炎をもらってしまう人、X線造影をやりすぎて、白血病になってしまう人。身の周りにも何人も若くして命を落とした人がいます。医者も因果な商売ですね。

 


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