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BLOG 藤本幸弘オフィシャルブログ

フランスの医療政策を見て日本の医療を考えた

シテ島のノートルダム大聖堂の斜向かいに、パリの市立病院があります。

「HOTEL」という看板が。

正面は文字通り、ホテルの様な外観です。

ホスピタルとホテルの語源は、ラテン語では一緒ですものね。

このパリ市立病院は、ほぼすべての科がある総合病院です。

写真ではわかりづらいのですが、入口を入ると、受付を待つ患者さんがたくさんいました。

進んでいくと、窓の向こうに中庭が。

素晴らしい設計。

入院するならこんな病院がいいな、と思ってしまいますね(笑)。

僕は先進国に行くたびに、その国の医療政策を調べてくるのですが、フランスは先進国の中でも最も効率のよい医療を提供している国かもしれません。

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1980年代のフランスは、現在の日本のように社会保障赤字に悩まされていました。

その対策として、患者の医療費自己負担率を増加させる政策を行ったのですが、患者数自体が大幅に減ることがなかったため、国家レベルの医療費削減につながるほどの策にはなりませんでした。

この内容は、2003年から日本でとられた一連の医療政策を想起させますね。

しかしながら、フランスの場合はその失敗で得た教訓を生かし、1990 年代に入ってから、今度は逆に医師側の供給コスト=すなわち医師及び病院にかかる経費を抑制する改革を進めました。

それらの政策とは、大きく3つあり

■診療ガイドラインの医療施術をデータベース化して、医療情報の標準化を行う。

これにより最も効率の良い最新の医療技術を、大学病院を離れ個人で開業して早○年・・・といった往年(ベテラン)の医師たちも共有することが出来、それにより不必要な薬を処方したり、過剰な治療を施すことによる経費の削減が実現しました。

また、病院スタッフの数も必要最低限で済むようになりました。

■「DRG(Diagnosis Related Group)=診断別関連群」を導入し、情報管理手続きを簡便にする。

これにより、DRGによって疾患をグループ化し、各病院に医療情報担当者を置くことで、疾患群の治療成績、コストなどについて、定量的分析が行われ、医師側もコスト意識を持つようになり、これも経費削減に繋がりました。

さらに、

■1999 年から1人1枚の情報記録媒体としての役割を兼ねた保険証カード(カルト・ビタル)を配布して、複数の医療施設にまたがって受診する人たちに、重複された治療や薬が出ないように、いわばカルテをカードに一元化し、患者と医療施設で共有化できるようにしたのです。

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一般的に言われていることですが、国家戦略としては、医療の

①コスト

②クオリティ

③アクセス

この三つの要素を同時に達成することは、ほぼ不可能です。

○米国では、②のクオリティが高く、③のアクセスの良い医療を受けることができる半面、①の医療コストが高額であり、市場原理によって、保険に入ることができない国民が6人に1人という割合で存在します。

②と③を重要視したため、①に負荷がかかっていると言えます。

○英国では、サッチャー政権下で①の医療コストを切り詰め、②のクオリティを維持した半面、手術を1年以上も待たねばならない患者が増加し、③の医療のアクセスが著しく低下したため、医療政策の変更を余儀なくされました。

①と②は実現できたが、そのため③を実現できない、と言えます。

一方で、

○日本は①の先進国最安のコストで医療を提供し、③の国民皆保険制度で医療へのアクセスを保障している。そして、②のクオリティも世界レベルで見れば、決して悪くはありません。

本来であれば、①と③を重要視すれば②に負荷がかかるのがセオリーの筈なのに、それがある程度の水準で維持されているのです。

これは「ミッション・インポッシブル」を達成していると言えます。

なぜか。

それは、ひとえに日本の医師たちの献身的な努力によって成されてきたと言えます。

その昔

「24時間戦えますか?」

というキャッチで流れたCMがありましたが、日本の医師たちはこの言葉通り24時間戦ってきた時代が長く、国家はそこに甘えて将来を見据えた政策を打ち出してこなかった。

人的非効率性に関連する自分の体験を書きますが、僕も大学医局にいた12年間文字通り24時間働き続けて最終的に体を壊し、医局を辞める決心がつきました。

その頃を振り返って今思えば、“技術職”の医師が行うにはいろんな意味で非効率的な“事務仕事”の比率の方が、患者さんの治療に実際あたる時間よりも多かったような気がします。

これも、しかし医局を離れすこし他の世界も知って初めて考え、思い至ったことで、これが組織の中にいると気付くことができないまま、日々の仕事に追われ、時にそんな仕事に流されてしまうんですよね。

「医師不足」と言われる時代ですが、その現状を単純に

「大学医学部の入学定員を増やす」

ということで解消しよう、というのは、あまりに短絡的です。

日本の医師及び病院、そして医療が抱えている問題は、それだけで解消されるとは到底思えません。

現場の医師がもっと治療に専念し、それもクオリティの高い医療を提供できるよう情報を共有できるように、仕組みを変えていく必要があると思うのです。

また、どんな職種もそうだと思うのですが、誰でも優秀な人間に仕事を回したいと考えるもので、たとえ医師の数が増えたとしても、仕事の出来る一部の医師の元に仕事が集中している現状があります。

これも、その医師でなければできないもの、もっといえば医師免許がないと出来ないものと、必ずしも医師免許がなくてもできるものに仕分けし、仕事の効率化を図ることは可能だと思います。

現在、秘書やアシスタントを持つような医師は、大学病院の教授や大病院の院長などのごく一部ですが、むしろアシスタントが必要なのは実際に第一線の臨床にいる医師達なのかもしれません。

非効率な作業をしている時間を有効活用し、診療に打ち込める体制に代えるようなコメディカル・アシスタントの役割が出来る専門職種の養成が必要なのだと思いますよ。

これは、僕自身開業し、「人を雇い使う」という経験を初めてやって気付いたことです。

看護師とはまた違う形で、医師をフォローし支えられる人材が医局や医療現場に増えると、今日本の病院が抱えている問題はいくつか解消されるかもしれません。

すこし話がずれてしまいましたが、戻りますと、フランスの医療機関について調べて考えたこと。それは、日本の医療政策も、現在のように、国民医療費の額を、単純に「保険診療費の切り下げ」によって低下させるのではなく、重複受診や会計システムなどの人的非効率性を排除することによってコストを適正化することが、日本の医療政策に最も必要なことなのだと思いました。

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路上に救急車が停まっていました。

フランスの救急車はこんな色なんですね。


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